男嫌い??/ちょっと不思議

 @levinassien 「自らに内在された『男嫌い」をどうハンドルするか」ということにその女性の知性がにじみ出るように思います。あ、女性を語る事ほど危険なことはないので、もうやめます。無茶ぶりすみません。無視してください。

 ・・・これは私と関係ある訳じゃないだろうが、糸井さんがピンポイントで「絶対お断りしたいジャンルの人」な
だけで別に男全体を憎悪してる訳じゃないですよ。
 一人変な男(で、金があって無茶振りの総元締めみたいなもの)に目をつけられると他の男が従属現象みたいな
立場になるので(フロイトの原父に対する従属と同じ)、結果的にその変な男と利害調整してる全員をちょっとずつ憎悪
する他なくなってしまうというだけの事なのだと思う。そういう憎悪は別段個体識別出来る男とかいわゆるイケメンには
向かわないんじゃないだろうか。
 私は嫌いな男に対する憎悪はハンドルしない。60出てるのだから金の稼ぎ逃げでどうにかなる事ばかりじゃない事と、
もし畜生道というものがあるとしてそれを生きてる事を精一杯憎悪をぶつけて教えてやる事で、結果的にちょっとでも
糸井さん的な人が更正するといいなぁと思う(という、知性なんてかけらもない憎悪の掛け流しで向かうほかなく、
でも私と同じ立場に置かれたらほんとにしんどいだろうと思うのだった)。
犬はかわいいのだが犬犬うるさいなぁというのと、その犬に人間の言動を重ねるのと。 
大体昆虫とか畜生とか菌は、単に「嫌い」なんじゃないか。男? え?・・・というような
                      ♪
思考の入出力回路の複数化(言表や所字以外の項があること)が一度に起きたらそれは確かに統合失調
と呼ばれているあり方と似てくるなと思うが、でもその時に動く精神的なエネルギーを読み解くのに
何のドグマにも囚われない方法があっていいのじゃないかという気がする。
                          ♪
改めて中井正一って凄いなと思う。http://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/43830_26147.html

                     ♪
 どーしようも無い位、自分を自分にした経験のところに中井正一(というか、初めは岩波の)がある。
 日本文学の疎漏(というか、形式とか構造の少なさ)が殆ど不審だった。中井正一は国家に暴力を振
 るわれながら市民運動をし、ボートを漕ぎ、委員会を考え、アーカイヴを準備し、十全に抽象的で、
 よく笑う人だったらしい。それから聴覚から皇国を考えた。海外の思想家も凄いけどこんなに先験的な
 人は居なかったのではないか、と思う。
メディア・アクティヴィスムと実践と言って(大文字の思想とか宗派性に対して)何が出来るか分からないにしろ、「土曜日」というのはそれはそれは好ましい感じの通信で、国会図書館で見たときに感激した。ベルナール・スティグレールを読むと凄いと思うが、似たような射程の出来事を言語機能の視聴覚に渡る分離と実践と西田哲学を素材にしてエッセーにしていた中井正一のような人が日本に居たことを、凄く誇らしく思ってもいいような気がする。

 「土曜日」をみるとこれが国から治安維持の為に問題視されて、滝川事件のせいで国立国会図書館の館長には
ならなかったのだから異常だよねと思う。おんなじような疑獄が生活圏域の何処に投下されてるかも、生体に
どう組み込まれてるかも解らない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E6%97%A5_(%E9%80%B1%E5%88%8A%E7%B4%99)

                  ♪
「偶有からの哲学」を中井の束と合わせて眺める。やっぱりかなり高い精度でパラフレーズできるので
ちょっとうれしくなるのと(ハイデガーが重なるのだろうな)、「すい石からハイパーテクストへ」と
いう講演に興味を持つ。90年代の文化(というかテクストに対する考え方)としてハイパーテクストって
多大な影響があった気がしてた。
全然別ルートで支配的な感覚が代入されるようになっており、それは端的にお金の流れで後ろ盾が仏教系
カルトなのだという、そういう構図を気持ち悪い、と思う。そこで「女」を見る眼差しが苦手なだけで
(だって根本に居るのが壊れ教祖なのだもの)、別に捌けてる男に悪感情なんて抱いてないのでは。
                 ♪
 ジルベール・シモンドンとアンドレ・ルロワ・グーランを読んでみたい(邦訳はあんまり無いのだろうか)。
 私が上手く読めなかっただけなのだが、ドゥルーズとかドゥルーズ=ガタリより理解がしやすいような気
がした(すい石=フリントもそうなのだと思うけれど、割り方と方向を決めるとすっと断面がきれいに見える
みたいな感じがあるのだと思う)。
                ♪
茂木さんだの脳科学だの宗派なんてどうでもよかったんだと痛感する。
ざっくり言って機械論的な構成と生気論的なエネルギーがあり、どうとでも
言える(クオリアと言い換えることも出来る)後者のボリュームを生体から
直に汲んでるかどうかという事なのだと思う(前者が強調され過ぎてると
自閉症スペクトラムみたいになるだろうけど、後者が強調されて寵妃みたい
な感じなのも居心地が悪いというか、結局その仏教系カルトにコミットする
気が全くないのだが)。

               ♪
大昔(といっても20年も30年も前とかじゃないけど)、意識のこと読むのに現象学を確認
しないといけないと思って、膨大さに途方にくれたことを思い出す。が、ベルナー
ル・スティグレールで何となく、補助輪なしの自転車に乗れたときのきぶんの事
とか、思い出す(現象学はそういう事の連続性についての学でもあるのだ)。
中井も現象学で一致するが、それにしても文献的な面だけでなく、ライフイベント
みたいなものも何となく共通するところも不思議(収監されたり、ベートーベンを
ラディカルな音の一例として挙げていたり、その後アーカイヴとデータベースの
作成者だったり)。こういう事って何故起こるか知りたい。

偶有性と可変性。面白い。
検索語として「使える現象学」というのは嬉しいな。

               ♪