否定的な媒介

否定的な媒介があるから駆動しているコミュニケーションを自分の現実感のなかに加算しないこと…。ほとんどそういう前提でだけドゥルーズを読んでた時期があった事を思いだす。(ダメなのはヘーゲルなのだった)。カルトの教祖はもっと否定的な媒介物のはずで、それが最初から出現しなかったかたちに情動を描きなおすことはまず、可能な気がする。
 必要があって外出する行き帰りの電車の中でせわしなく「中井正一伝説」を読了。ななめよみ。考えれば本当に
ベンヤミンと同時代性のもと考えてた人なんだなぁと思う。ふだんパクリとかに激怒しているが、中井正一とスティグレー
ルの類似というのは完璧にオープンソースの発想にしたい。私は学術論文を書ける訳でないので、どちらか専門の方の見解を知りたい。(何で似る?? みたいな)。
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出先のLUSHでバスバブルを購入。秋風が気持ちいい。
これは単純に機能論として、現象と自明性の中を生きてるときに消去出来ない痕跡みたいなもの(内面で思い返した
事)が外部に構成されてしまうと凄く厄介な訳である(フロイトの「マジックメモについてのノート」はそういう
ものを取り扱っている)。だから、神経工学の濫用とか脳科学の越権とか、そもそも考えを練ろうと思っておらず
ご都合主義の宗教に精神性を丸投げする人にそういう事されるのは困る、と思う(痕跡が固着しない形で考えなおす
のに時間を要するため)。
こういうお話は人間に起こりうる事として考えると凄く面白いので、尚のこと勿体無く感じてしまう。と、同時に、
単に現象と自明性は確保しないと仕方ないんじゃないか、と思うのだった。

この形の照明の中、家守はえさの羽虫を見つけて降下したようだった。

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「東京糸○重里事務所関東総本山」を名乗って、妙な事象とコピーについてはフィーをまともに
バックさせようかと思う。それ位ムカツク。