受動喫煙/自然治癒力のホールド

bobbinsmall2011-11-13

タバコの害については正直言ってよく解らないとこもあり
(自分が吸わないだけなので)、のべつまくなし吸ってる
ので無ければ大人はだいじょぶの気もするのだが、反禁煙
論者の人のレトリックが酷い気がする。
 それより自然治癒力のホールドは良くないという気がする。
脳内分泌物は基本的に、他人からどうされてもいけないもの
と思う(ドーパミンとかエンドルフィンというような脳内
分泌物が、自然現象とどう呼応関係にあるかというのも、結局
のところ何の回答にもたどり着いていないのだ。腺とか分泌液
がなぜこの考えに結びつくのか、を神秘化してごまかそうとした
らどんな考え方も出来る)。

         ♪
「何か仏教ぽくて見てて癒されるから」→洗脳
という宗教団体だったら凄いよなと思う。内在
する記憶や思考の一回性は一切無視なのか。
そしてそういう団体に科学的知見を売り渡した
科学者も、全然海外の趨勢とリンクしてないよう
に思う(それで、そういう人のお買い上げ項目に
なってると英語の再習得もひたすら邪魔されるん
じゃないだろうか)。でもがんばろう。
アンドルー・ワイルはチャーマーズと同じアリゾナ
大学の方。

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完全にアンドルー・ワイルの本とおりに食生活
を整えるのは難しいのだけれども、海外のナチュラ
リストは考え方が重層化されてるんだなぁと思った
憶えがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB

何か、その新興宗教のバイアス一切無しに、意識についての
学の定立点を考えちゃいけないんだろうか(ほんと素人なの
でよく解らないのだが、西田哲学とかも精神的なテクネーな
訳で、こういう考え方とも近いように思える。日本の普遍的な精神的
潮流ってそちらのほうじゃなかったんだろうか)。

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ある人間の思考に人工的なバイアスが強いられ、それは個人がコントロール
出来ないものであり、ユダヤ性や不可触賎民、反動としての金融行為に
かかわりがあり、投薬被験は頻繁に行われ、最終的にそれを仕組んだ人間の
幸福も薬理による融解にある・・・となると、何か殆どアーサー・ケストラー
みたいなのだが、何か日常性というのはもっと別のところに定立してる
よ・・・と思う。
にも関らず、広告代理店とか特定組織の中で増幅されたそういうバイアスを
個人が受け取らなければいけない、というのが、まず間違い。
加えて「それで何が解ったの??」と聞く権利があるように思う。
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男嫌い。
男嫌いと関係あるのか解らないのだが、単純に「美味しい天麩羅屋で
デートしたら楽しいかもね」みたいなことを(誰に言う予定もなく、
練らないで)考えていたときに、口にも出さず書きもしないのにいきなり
先取りされた場合のトラウマってどういう質のものなのか(それこそ、
心とか生物学的な関係性において)。普通の日常に対して凄いスケール
アウトした感じになるような気がする。
内田百けんの小説にはそういうシーンが出てくるけれども、やっぱりちょっと
フリークスっぽい時空の把持の仕方だしな・・・と思う。
それが何の宗教的な利害関係にも吸収されないで済むことが小説的自由の
世界だとしたら、過去には明らかにそういうものがあった気がする(だから
多角的な小説の読み方が成立していたのだ)。

あれをもう少しこう考える事で事態の平板化は避けられた、という項。それと共に成金って人の内在まで標的にするんだというのにさすがにへこんでしまう。 利殖という動機はあまりにも貧しい。けどそれに抗うのに生半な精神論を持ち出しても仕方ない。それでも年収何千万から上の人があと全部洗脳したりコントロールする社会って無いでしょと思う。その成り上がりかたが単に強拍と足並みを揃えられたというだけの事だとすれば尚更で、そのおかしさは書き残すに値する。
で、やっぱり茂木さんは批判されるべきなのだ。科学知に触れるインターフェイスにならないと思う。

かえるタバコ吸いながら何かに気づいた?