思考の不死性

 それについて多角的に考えたり感じて形式化することが、まあ自分の
 第一の責務だ、というような事を考える。
           ♪
内田樹先生の自己憐憫

「選挙についてのコメントについて、批判的〜罵倒的なツイートがふだんよりおおめにありました。特徴的なのは「お前のような『持てるもの』に貧困層の若者の気持ちがわかってたまるか」というものです。この手の「お前のような…には」論は僕が高校生の時から辟易してきたものです。」
「…にはどんな言葉でも代入できます。「男は」、「若造は」、「プチブルは」、「健常者は」、「インテリは」、「日本人は」…と列挙不能なほど多くの理由で僕の発言は遮られ、否定されました。その経験から学んだことがあります。」
「自分より多くの利益や特権を享受していると自分が見なす人間に対してはいくら非礼にふるまっても、暴力的にふるまっても「よい」と信じている人々が世間にはたいへん多いということでした。」

 ・・・問題は単にレヴィナスを読んでみたいと思った時にすごく邪魔なのと、その手法に依るこの時代の成金が例外的
に下衆な事なのだと思う。一般市民や普通の金持ち(新興宗教の裏金成金ではない)というのは、別段形骸化しない
イメージと一緒に生きてるが、何か他の領域の形骸化に形骸化を重ねないと前面に出れないのかと思うとゾッとする(利益享受が宗教の裏金と他人からの論旨のパクりと思うと気持ち悪い)。
私が腹立つのは、例えば「風の旅人」の編集長さんは自分の媒体を支える必要があるから、恐らくある程度名前の売れて
いる内田樹先生や茂木さんに寄稿を頼んだのだろう。「風の旅人」に掲載されている写真は、どれも撮るのに心理的リソー
スも時間も撮る姿勢も必要な、他に二つとない写真なんだろうと思う。にも関らず、見え透いた方法で部数ばっかり稼いだ
り、そもそも他人の領域から剽窃しかしていないようなエッセイだの論陣は永らえて、あまりないスタンスで作品を取りあ
つかう媒体が撤退してしまったりすることなのだ。
疎開もそうなのだがポピュリスムを否定する割に煽り方が汚いというか、基本俗っぽい理由でなりふり構わなかった人なんだろうなぁと思ってしまう。で、私は搾取という言葉が嫌いなのだが、自分からの盗品は自分がまともに取り扱うべきという気もする。何ひとつ生きてく上で指標にもならないこういう人を、よく出版業界は永らえさせるなと思う。