界面と夢/セクシスト

久しぶりに凄く怖い夢を見る。というか、まずベッドの脇で目の前の本棚を写真に撮るのだが、そこにもぞもぞした赤黒い塊(あとで七歳位の子供とわかる)がうつりこんでいて、何だか身体環境がそれに同調していき手と脚がクロスした真ん中のところが何か撞着している、というような、基本的にいやな感じの身体イメージの夢。(気持ち悪い…何ともいえない感覚だった)
昨日の夜に見たのだが、金縛りとかそういうジャンルの出来事(霊感というものが存在するかはともかく)と同じような事に思え、ごくたまにあるそういう夢の中で意識が何を排除しているのか不審に思う。のだが、一番怖いのはそうして夢に見た心身感覚を書き表わす前に、何か前倒しでそういう状態が可視化される事かも知れない。なぜか見た夢の内容に同調される気持ちの悪さ(茂木さんのツイッターに何故か被るような記述があった)。

歩きながらハヴロック・エリスみたいな大脳生理学者なら何か書いていたかもなという気がするが、今何年だっけというのと夢という素材にあんまり積極的な意味を感じない。具体的な個物の感触が上がってくるのは、何か別の媒介を通じての事に思われる。

クリスマスシーズンだからか、一段構えすっきりした素材感で現象を見ている事に気付く(さっと物事が現れてくる構えがすっきりしている感じ)。これは自分の本然としてある感じなので、そこに民俗学的な事象を列ねられるかは来年の(緩慢な)課題にしよう。

たまたまテレビでも某国の銅像のお話を見て、歴史上の事実がどうこう言うより外交の道具としてのボリューム感がとち狂ってる気がする。糸井さんとか樋口可南子に対して感じる居心地の悪さも多分そういうものだ(その抵抗が電磁波っぽい不快感として感得させられてるのかとも思ったのだが、そうではないというのがまた怖い)。
私はほんと糸井重里という人の(というか新興宗教の教祖全般の)、セクシストなのを誤魔化す為のどうでもいいような表現が嫌いで気分が悪くなる。
別に韓国が嫌いではなかったのだが、そうして嫌悪感を増幅する事に自分が一役買ってることに気付くべきねぇと思う。