社会的脳

bobbinsmall2011-12-19

・・・マイナー本のオタクみたいになると嫌なのだが、この本は
面白いので再刊すればいい、と思う(マイケル・S・ガザニガ
という人のWikipedia上の記述を読むと、SF作家のレムに影響
を与えたという事が書かれている。冷戦構造の下での神経工学
的実験とか突拍子もないような科学的知見って結構きわどい所まで
行っただろうし、「思考盗聴」と呼ばれているような技術が全然別の
名前で研究の対象になっている事も、調べてみれば沢山あるのだろう
という気がする)。
一般市民は脳についてオーソライズしないから、それについて知見を
持っていそうな人が出ると、個別の脳に蓄積されている記憶を軽視して
脳全般に良い/悪い何かがあるかのように語られてしまい、酷いときには
杜撰な実験とか洗脳が実際に執り行われてしまうことがあるというのが
実情なのではないかと思う。(「バカの壁」もそうだが、脳一般の深部で
の接続性とか社会的な簡潔性の為には個別の拘りを捨てるべき、みたいな
論説が罷り通り、そこに金銭が絡むと、先に脳機能についてオーソライズ
するための技術に触れた人が一方的に他人の脳をどう解釈してもよいという事に
なってしまう。ただ、その財源になっているのがあくどいドグマを持った
新興宗教の場合、ブレイクスルーが幻想なのではないかという気がする。それ
どころか独自基準で駄目な脳とか洗脳されにくい悪い脳を見出してダメ出しを
する可能性もあると思うとゾッとする)。
ビートルズが所属していたアップルレーベルの売り上げでMRIを開発した
話はいつ読んでも面白いし、実際そういう科学的要素だけには還元できないような偶発事
を取りまとめた先にヒトの脳という器官が乗っていると考えると、例え人体実験
されたとしても感覚の起源について知りたい気がする(ただ、それが特定宗派との
癒着だから、不毛だし気味悪いし嫌だという事なのだが。それからやっぱり、神経工学
とか脳科学にとってもキリスト教原理主義との緊張関係の方が大きな流れで、仏教系
カルトは端からマイナーなもののサンプルでしかない気がするのだけれども、どうなん
だろうか)。
            ♪
個別の記憶の個別性というのは結局のところ仕方の無い話で、それが無い限り個体識別
する手段も、祈ることも、時空を条件にしてまともに移動する事さえ出来なく
なってしまう、と書いて、それこそスタニスワフ・レムが小説に書いているようなことだった
気もする。
その個体識別/記憶的存在としてのコードみたいなものを自分でコントロール出来なくなるとへんな夢のような、身体感覚の遊離みたいな出来事が起きる気がするのだがどうなのか(もっと自動化された、受動性に基づいた出来事でしかないのかも知れないが)

南島イデオロギーの事もあり備忘として。おおよそ10年前に南相馬市小高で、島尾ミホさんが南島の1日について語ったのを聴いた。それは神話化されて特別な意味を持った1日としてその方の中に埋め込まれており、何かが降りてきたみたいに詳細に語られるのだが、イデオロギー化(扇動や教化から得る権限の上位化)するような隙は全くないのだった。単に憶えていてそれを語るだけのことが人をここまで不思議な存在にするのか、ちょっと打たれながら聴いていたような気がする(竹ビーズが縫い付けられたストールの模様を見ていた)。発展性なく大戦下の外傷と記憶みたいな事を考えていた。
その日に民家でご飯を食べた南相馬市小高をちゃんと思い返そうとしても、被災して警戒区域内にあり、原発がおさまるプロセスはまだ見て取れない。記憶で思い返すほかなく、そのとき思い返すのはやっぱり個物だが、杜撰な脳科学新興宗教には不自然な隠語の繰り合わせがあるばかりで記憶に値する個別のものがないように思えるのだった。