〔貧乏〕またもらう/有用な情報とは何か

・・・今度はクナイプのアーモンドブロッサムのローション。

・・・小高に行った後位から本格的に心身問題に関ってみたくて、トリートメント前に
クナイプで足浴してたのは今から考えると凄く均衡が取れていた。
(クナイプとヴェレダ信者だった)。
自然の色々な要素が整って心裡に働きかけるタイミングが、よく解る気がして
おり、それは自己意識でコントロールするもので他から介入を受けていなかったのだ。
          ♪
そこで開ける景色や物事のコントラストは、人為でも機械論的介入でも届ききれない
物だったかと思う。(そんな時アドルノを読むのに、何が書いてあるか全く理解出来ず、
ファシズムも大量殺戮もこの国に全く関係のないことだから、と思えていたのが懐かしい)。

          ♪
妙な夢のせいで小劇団に居た友人の事を思い出す。
恐らく昨日書いたことを受けて、
・・・茂木さんは「幻想」に触れているが、その後の論旨の
発展性の無さにある不安を感じるのだ。例えば幻想と転移、
同一性、言語というのは精神分析の基本だが、脳科学(あるいは
神経工学)というのはそれより偉いか優位に立つんだろうか?
そういう問いに対して全く歯切れのいい対話が開けなかったのは
斉藤環さんとの往復書簡で明らかであり、私はこの対談本を出した
出版社とか、「風の旅人」の編集長とかを気の毒に思う。
何故この人が駆り出されたか、感覚の何を解明するか全く不明。
茂木さんの原稿料、半分くらいは私のじゃないか?? と思う。
・・・大体治験の応募かけるとか何か出来ないんだろうか。もの
が「クオリア理論」だからか科学ならざるこの世の迷妄が絡んで
いるからなのか解らないが。

コピーはともかくとして有用な情報、対価を持ち得る文章って何なのか。まともな形式を伴った記憶そのものの小説とか書いた人の心理が子供に滲むような児童文学がそれで
はなから信じてないような宗教的ドグマだのコピーだの越権そのものが大量に立場を買い占めてるのはおかしいんじゃないかという気がする。

チャーマーズクオリア理論は唯名論に触れているため、そういう仕組を経由しないで感覚について解明するというのはどういう事か考えつつ(キリスト教の論争なので、仏教圏とか他の信念体系内ではそれを経由しないで感覚する事があるというのも当然の気がするのだが…)でも強迫的に、隠語とか喩による感覚の同期にだけ拘泥するのであれば、感覚を解明したいというモチベーション自体ずれてしまうのではと思う。
束化する契機しかもたない新興宗教