偶像

縁起物ではないのかも知れないが・・・

仏教美術か何か由来なのだろうけれども、よく解らず(説法印という
ものらしい)。真ん中についているお花がかわいく、また「アクセサリー
かけてもいいかもね」と言われて購入。それからまろやかなアロワナの像。
この方々は普通のショッピングモールの中で、インドネシアの雑貨や
さんの在庫品として、3個で500円として売られていた(中古品ではない)。
キラキラのイルカや極彩色の猫も居たが、落ち着いた色合いなので購入。
(置物はブラスかモノトーンくらいにしておこうと思う。家具はアイアン
か白かウェンジ位までの黒から茶色。布と箱だけ色)
             ♪
全然霊的な存在というものを信じていないし、運よくそういうものを見たり
する体質ではないのだが、多分世の中には怪しげな祈祷師を雇ったり、被暗示性
の高い人に迷惑行為を働かせて心霊現象の代替にする人が居るだけだと思うのよ、
というお話をする。
「80年代のオカルト的なもの」に対するクリアランスを、とる人は都度取って生きて
いるのだが、その話を数度再活用して、都度尤もらしい増強に走る人が居るのだと
思う。
共産党宣言」の書き出しを何度もパロディー仕立てにして敵を謗ったり、思想的
内実があるかのように振舞ってるうちに、元々のテキストとしての意味が綻びて
何がなんだか訳が解らなくなるように(「徘徊する奇妙な妖怪って何だよ」)、
そういう80年代的なオカルト情報が後景に退いた事には恐らく意味がある。
でも、その文体に留まってる人たちの中では、相も変わらずそういうものの為に
だけ駆動される変な神学が必要とされているのだ、と思う。
 
              ♪
「ニューイヤーズ・イヴ」という映画の最後で、「大地震、洪水、リアリティー・ショー、
思い通りにならないものはある・・・けれども大切なのは愛と寛容だ」(うろ覚え)・・・え、
リアリティー・ショーってそういうものなの?? と思う(メロドラマだけどとても
いい映画だった)。

「だからキリスト教圏だったら別段精神的な問題と捉えられてないものが、医療費の
ために錯乱に数えられてるだけなのでは」という話をする。力説する。
              ♪
話しながら、ほんととことん唯物論者なのだ、と思う。
(その上で、記憶の唯物論的な規定を知りたいので、宗派性とかは完全に無駄なのだ)。