民意/私が新左翼について知りたくなかった2,3の事柄

・・・じぶんの日記帳に長きに渡って「内田樹先生」への言及がある事自体何となく苦痛な
気分に。

日記に名前を出している日本人の戦後思想家の中で、本当に思想家だったのは吉本隆明
だけであり(中井正一のように戦中の人は別だし言及してないぶんもあるが)、
やっぱり固有性とか存在論的な部分での負荷とか、それを反転させて民衆の行動
を優先出来る部分に、その思想はかかっている。それらをポストモダンが一旦全部
相対化した後、一番お金あるとこか一番権力があるとこと組んで他人が言ったような
事を再度使いまわすのは、別段思想家の仕事ではないという気がする(別に人間、思想家
じゃなくていい訳だが)。

・・・強いて言うと、起こっているのは大手メディアとか新興宗教の媒体を使った
思想のロンダリングみたいな事なんじゃないかという気がする。それが解ってて読
む必要が無ければまあそういう人も居るんだろうな、という気がするのだが、民意
全否定となると、ある意味その新興宗教本体よりきな臭い(党は財源として頼られ
てることによって、一般の生活者にもある程度はバック出来てるんだろうし)。
 という、何かおかしい感じがここまで極端とは思えず、大阪に住んでる人は
怒るのじゃないか、という気がする。日本の有権者に答えを出せるわけが無いって。
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/154f6fb4371d54daf79b8ece11945633/

・・・震災直後の雑で乱暴な感じの利益誘導も含めて、理路が読まれてないからあんまり謗られてないだけ
の事なんだとすると、出版されてる本の一冊一冊がどう読まれてるのか理解不能
何かもう、いい加減自分の世代以外を記憶なき存在として扱おうとするのをやめさせないと、ほんと
まともな媒体(「風の旅人」はそうだったんじゃないかとも思うのだが)の生態系が破壊されてしまう
気がするのだが(ここから頭の中で「新左翼」の生態と「日本破壊計画」あたりのセンスがリンクするの
だが、ほんとそっちの方が呪われた現象の巣なんじゃないかと思われる)。
後続世代は無根拠に苦労人だったりもするので、求心的に必要に駆られて現実を変えてる部分も一杯ある気がする。
けどそれを全面否定というのもないし、ここまで意味不明の全面否定を初めて見た。
この人と茂木さんはほんと、口から出まかせの印象しかない。

新左翼はあんまり成熟した革命思想(?)を持たず、戦争体験も無かった。
・上の世代はほんとに戦中国家に問題視されてた共産党出身の左翼で、そこからチク
チク言われながら社会変革を夢見ていたが、同時期に5月革命(実存主義が絡んでかっこいい)
だの公民権運動が底流にあるようなカウンターカルチャー(ロックだのフォークだのでそこそこ
かっこいい。アレンジメントと演奏する人によっては壮絶にかっこいい)が起こったため、どちらかというと
そちら系の情報蓄積でフェイントしながら革命についてもサラっと語るみたいな態度が由とされた。
・一方で高度成長期でもあったので、そういう文化的態度に塗れてても最終的に職にはありつけた。
・旧世代の共産主義的な革命の中で、一党独裁と独裁者(スターリン)みたいな人が居ると他の
思想の持ち主が「思想の元に」殺されたり言論封殺される為、反スターリン主義で独裁嫌いのリベラルと
いうのが建前。その実、人が死んだとしてもお金が手に入り独裁出来るのだとすれば、本当はそういう立場に
立ってみたい
・戦争体験も被抑圧の経験もないのにエネルギーを解放しようとした為、些細な事で
争いになって死んだり負傷したりする人が山ほど出た(「思想」のために死んだのではない)。
・「ノルウェーの森」の直子のような自殺者も居る。陰湿な吊るし上げで精神的に病む人とか、あり
もしない内面を仮構された挙句吊るし上げに遭って<実存>に目覚めてしまい、そのまま活動家(?)
と抜き差しならなくなって子供とか生むのだが、家族観が壊れた同士なので家庭内に
修羅場を展開するのが果たせなかった<革命>の対価物みたいになる人も多々居た。
・その過程で連合赤軍事件とよど号事件が起き、想像以上に陰惨だったので、新左翼はその景色を
トラウマにしてるというのが建前なのだが、実は残虐性が剥き出しになった事件のえげつなさに中毒
したり動物的に反応する人たちもかなり居た。この段階で普通に考えたらそっちの方が統合失調じゃない
かという存在様式の人が量産されたが、革命的なマイノリティーの解放に精神障碍の否定も含まれていたため、
詐病も相当甘くみて許された(フランス現代思想と精神医療制度改革についての複雑な事情は措く)。
・世間が学生運動に対して気まずい感じの所に80年代が到来。企業も国もお金があったため、新左翼
運動で人が無根拠に死んだ記憶も、どこかでクリエイターだの作家だのの立場にありつければいきな
りチャラに出来た(ここら辺で糸井重里とかが采配を振るう)。その後バブルだったのでゴミみたいな
表現にもざばざばお金が降りた。
・どちらかというと異常な人、変わり者の方が持てはやされ、そもそも統合失調(分裂病)は流行の
病気だった。
・そのノリのままカルトを煽って95年に変な事件が起き、一時は「もう少し大人になろう」みたいな
話が出てくる(ここで90年代後半位)。
・が、新興宗教が所有している党が財源として大きくなって、結構致死性の高い方法
で個人の威信を消去できるようになると、カルトを煽った人たちが真っ先に他人を追い込む技術に
手をつけて、それ以前に出揃った同じようなメンバーの申し合わせの中、もう一度どこかで見たような
革命の話で稼ぎ逃げしようとしている(怪しげなスピリチュアリスムとか感覚についての研究など、
ちょっと見センスエリートである事を誇示出来るようなお話が全部展開される。脳科学もそうなのだが
医療的専横がそこに入っており、しかもそれを一個人がシールド出来ない仕組みになっているとしたら
迷惑なことだ)。
・その中で、妙な出来事の場数を踏んでる分自分が「成熟」しているように思え、単に横のものを縦に
変えようとしただけでも牽制したり怒りだす。要は自分以外の人間が現実を善きものにしようとする
景色にこらえ性がない。民衆とか生活者というのは精々「お掃除しました、ふきふき」みたいな80年代
丸出しの文章で表現されるだけで、裏手に回って人の生活感覚を勝手に「追い詰められたもの」と考える。
・歩き回る妖怪もそうだが対処に困るキラーフレーズがあり、それで数度関係の無い人を査問にかける。
でも基本的にそればっかり。「〜について知っている2,3の事柄」→ゴダールなのだが、それに拘ると
延々そのフレーズの使いまわし。同様の査問ツールというか申し合わせセットが何種かある。

 という思想家(?)の感覚を別に有難いものと思う必要はないと思うし、大体
そのうち、投票する事自体自由意志の表れだから許せない、とか言い出しそうで怖いのだが。
(愚直にスターリン主義を展開してるのである)
よく解らないが、90年代の終わり頃、相当自由に本を読めていた頃に比べて、確実に変なぎすぎす
した社会になっているのだなぁ(それも見え透いた申し合わせを生かすために)という気がする。
(普通の市民社会で絵が好きだったり何か趣味があると、絶対こんなせせこましい申し合わせを
選び取っていないので余計そう感じるのかもしれないが)。
・・・レジュメしながら、私アルチュセリアンなんだろうなと他人事のように思う。あと、大戦間に
彫琢された意識(本来の意味でのロストジェネレーションが題材にしたような)も、結局不可避
に外傷的経験を負ったあとの意識な訳で(それは私の経験とは全く関係がないのだが)、やっぱ
新左翼的な意味のない陰惨さとは素材が別のような気がする。


                 ♪
大阪は民博と小野十三郎の印象が大きいのでよく解らないのだが。がんばれ大阪。