結局

・・・(良くない)左派的なコミュニケーションというのは、とても解りにくい上にレジュメが簡単、
という何だか不思議な性質を持ってる(無駄に捻り過ぎていて、その分を利潤追求に充てて
いるというとても嫌な感じのものなのだ。だからまとめると解りやすい。あと概して粗暴。気分の
いいざっくりした感じとかではなく、ひたすら粗暴)。

                ♪
ほんとに5月革命に関っていた知識人や、まともな左派はそうでもないように感じるのだが。
マイノリティーの権利確保というのが、ここまで歪になったのは何故かしっかり考えてみる
必要があるのだろうと思う。
 そしてそのマイノリティーの解放や、じぶんはアウトサイダーだみたいな感覚が霊感や
超越論と結びついた形式は最悪で、無駄にお話が膨らませてある割りに一向科学的な手ごたえ
に結びついていないのだと思う(でも、やっぱり簡単に要約できてしまう)。
 ・・・恐らく、霊感というのは、脳とか目の器官の記述形式の違いとして在るのだろうが、もし
それが存在していたら今以上に大変な人生だろうし、自分がそういう感覚の持ち主でなくて良か
ったという話を、少し前に7年ぶりに会った友人とする。
(その時にとても街並がきれいにくっきりとした輪郭で見え、これで良いのじゃないか、という
気分になる。いつでもそういう感覚から始める用意だけをしている心算なのだが、横槍が監視や
呪いというのは結局どうなのか)。

           ♪
サブカルとオカルトについては、そういうものについての固有名を知ってる位でもた
かりの対象になる気がする。
何の根拠も無い、という事を順を追って説明するのはそれ程難しくない筈なのだが。

世界中政治的行為が難しいため、為政者が解答を出していないという状況を察して(この前提も本当か知らないが)、ある自治体の有権者が候補が二名立っているにも関わらず全員投票を止めてしまったら、有権者は思考停止してると言えるかも知れないが、そんなことあり得ない訳である(熟考したら票を投じられる訳がないのに、投票する事自体なにも考えてないから出来るのだというロジックなのか。「ザ・詭弁」という感じというか。そんな風に全員がためらっている自治体なんてあり得ず、チクチク「囚人のジレンマ」みたいな妙な理路だけを先回りして埋め込むというのを受動的な立場で繰り返されると、判断力が鈍ってくる。この人仏文学者なのかと思う)。