ロシア構成主義

はともかくとして、いわゆる時評を(馴れ合いでなく)やってる人たちって
全く居なくなったのかと思う(新左翼には確かに歴史的な意義があっただろう
けど、5月革命を遠景にして理由なく暴力的になり死人が出て、その背後を何となく
音楽が流れてる的な話と、たまたまその頃の事を知ってる人たちが既視感を掻きたて
ながら稼ぐために、何かぐずぐずした若者なり女性なりを感化してる、という話は普通に
絵を見たり本読んだりする事からしてみれば下らなすぎるし、何かがそういう景色を
寡占すべきでもないように思えて。寡占に度の過ぎたマーケティングが絡むというのも
気持ち悪いような気がするし、そのインフラに乗って同一方向に情報を流しているもの
は科学でもアートでもないものじゃないか、という事を思う。時評でそういう事情を扱
ったら出版業界そのものが崩壊する程、事態は酷いんだろうか)。

               ♪
手持ちのイメジャリーの本に「精神神経免疫学」というものが載っており、だから人間の
感覚する物/事を解析するのには、現象学的な意味合い以外に医療や疫学も絡むのだと
いう気がする。それはまさか医者に寡占されないし、現象的判断と医療のパースペクティヴ
を繋ぐ理論があったとしたら、それを取り扱うのにまず大事なのは単にしっかり内省する事
の気もする。

              ♪
私が病的にケチだからかもしれないが、超常現象にお金を掛けたくないという気持ちが
大きいのではないかという気がしてる(超越的なもの全般なのかも知れないが)。


              ♪
内的助言者・・・というカテゴリがあり、ラカンだったら絶対にこういう書き方をしない
だろうと思う。要はメンターで、それを内在(心裡)からまかなって言動の筋道を立てる
べきだという事で、それが出来れば情動のブレが少なくなるだろうし、オカルトみたいな
考えかたもしないで済む。
けれど問題は、そういう作業を一から否定していわば洗脳してしまおうという流れがあり、
そういう流れで使われてる過度に騙し打ちみたいな語法なのだ。(あと電磁波?)
心裡に何かの危機的な状況があって「内的助言者」というものを呼び起すような場合と、
内部構成されている筈のそういうもののイメージを外部に増幅して物理的に精神へ引きをかける場合
(ほんとに電磁波かわからないけど)、どっちにしても転移性の項目だけがドロドロ渦巻いてる
ような領域が常に意識に上っていたら、個体の精神的な歴史なりフォーメーションは消失してしまう
だろう・・・というような事を考えつつ、意識に伴う物理法則を拡張するというより、唯物論の構成を
ぐっと拡張して結構オカルトや変性意識に近いものまで、唯物論の構成の中でクリアに出来ないん
だろうか、と思う。

              ♪
というような事を考えながら洗脳されるというのも、完璧に無駄なプロセスに思える。
「チープなオカルトの形而上学」というか、要はどんな神学のコードを内在してる
のか紐づけられていればいいような気もし、でもそういう事って子供の頃に「コック
リさんしちゃだめよ」みたいな話として聞く気もする(こういう言い方も何となく
80年代っぽいのだが、そういうオカルトが求心力を失ったのはやっぱり下らなかった
からの気もして)。
 やなのは「科学」と言われた時なのだ。「嘘つき!」と言うしかないのだが。
             ♪