1/17日本の新左翼レジュメ/暴力批判論のベンヤミン

1月17日にレジュメした分の補足として(このブログを読んでいる人がどれだけ居るか
分からないのですが、1月17日の分については結構当たっている所もあるかと思うため
一部の日本の新左翼的な実存について説明したい時には、そのまま使って下さって結構です)。


・5月革命の際の(まともな)知識人とそれ以外の層については「記号と事件」(ジル・ドゥルーズ)という本を
読むと解りやすい。当たり前なんだが当然マイノリティだの精神病者を旧来の権威主義的な仕組み
から解放してくれようとしていた知識人は居て、独自の語法を考え出したり解放病棟の精神病院を作って
分裂病の人を治療したりしていたし、ほんとに外傷的な経験をした後の後遺症でその後結構ハード
な余生を過ごしたりした。「論争」についてのスタンスについても書いてあります。


・日本の新左翼は、ひょっとすると単にビートルズをBGMに暴力振るっていただけの可能性も
あるような気がする。自業自得で逮捕されたり無意味に人を巻き込んで死傷者が出た後、そういう行動
への後ろめたさから教化の対象をどんどん弱いもの弱いものに移行させていき、そういう事が度重なって
陰惨な事件が起きた訳で、最初から「何を改善したい」とか「世界をどうしたい」みたいな具体的な提言
が大嫌いな人たちのようにも思う。そして、元活動家というジャンルの人の中には単にポル・ポトみたいなメンタ
リティの人も相当数含まれているのではないかと想像する。


・勿論闘争に参加していても、その後市井で特に教化オタク化もせず職務に当たってる人もおり、「もと
全共闘」というジャンルの人自体は何となく親戚の親戚とかを辿ると居る
人ではある。そういうはあんまり昂ぶったり驕ったりせず、淡々と記憶とその後の行動のすり合わせ
をしている印象もあり、たまに話すとちょっと味わい深いしバランスよく物知りな実務家(あくまでも
個人的な体験として)。


・そして、無根拠に暴力を振るったり殺しあったりしてた方の新左翼は、何故かそれが全部チャラになって
急に儲かった80年代以降の景色の方を、68年なんかよりよっぽど自分の本質的な経験だと思っているのじゃないか。

だから徒党を組んでそこに立ち返ろうとし、その頃の思い出話で稼ぎたく、そのままだとあまりにも世話
ないので取って付けたような理想主義とか共同体論とか、道徳意識みたいなものをオブラートに使うのである
(一部の人に取ってはそれが著作だったりする)。これがほんとに机上の空論だけ振りかざせる立場に立つと、
後ろめたさの分だけ増長して最悪なんじゃないかと思う(精神科医とか、教師とか、新興宗教の幹部とか)。


・そういう人たちが80年代に作った下地をあてにして量産された「クリエイター」だの「業界人」だの「精神科医
だの「天才科学者」は、だから表向きどんな肩書きでも、無節操に人を殺して無節操に解放された、もと
新左翼という人たちの追従者でしかない。
 90年代以降、必ずしもそういうクリエイターばかりじゃないような気もする。


・という事が分かれば、誰も前者の著作だのプロダクトだのを購入しないような気がするし、結局
論壇みたいなところを荒廃させてるのもこの手の見え透いた人たちのように思う。


・しかもそういう目に遭っている人がどれだけ居るか分からないが、そういう人ほど色んな意味で執着
心とか執念深さとか物凄く、自分の二次創作のために他人の個人情報に手を付けてるらしいとなると、
日本の新左翼いいとこないですね、という気がする。基本根暗で反動としてしか明るさを措定しないため、
ひねた方法で他人を巻き込もうとして挫折するような人が多いんじゃないかと想像する。


・あと女性をとんでもないスラングで呼ぶし基本的に女性全般に対するイメージがおかしい。それが左派
的な形式で一番分かりやすく現われてるのが、某カルトの残党が持ち回りで書いてるらしいブログで、
表向き39歳の女性なのだが、普通にこんな人居るはずがないじゃないの、という気がする。

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 上記のような構成と全く関係ないものとして、ベンヤミンでも暴力批判論〜「法の力」(別の
人の書いたものですが)のライン(ユダヤ学的なものも入る)があるというような気がしており(昨日)、
それは全く上記のようなゲロみたいな実存とは関係ないような気がする。
(「陶酔論」からなる系統と「暴力批判論」の列と「パサージュ論」の列と、ざっくり分けているものを
自分の問題としてだけ整理したい)。→ベンヤミンデリダの事考える自由もないのかしらという現象が
また起き、つくづく考え込んでしまった。一つ書いておくと私は、澁澤龍彦という人が基本嫌いで、幻想文学
が流行ってた92年から95年位の時までに文庫で、当時はそれなりに面白く全部読み終わってしまったのだが、あの
くどさを実存レベル(性癖?)で引き受けなくてほんと良かった気がしてる。そういうジャンルの男もお断り
シュルレアリスムでも「異端」というスタンス自体私には無理・・・という気がしてた。バルトルシャイテス
とかパイディアとかそういう世界から普通に本を読む自由を抑制されたくありません)。
 書いてあった事は変な性癖と大仰な衒いと鬼畜な言動のオンパレードだった気もするのだが、流石に異嗜食を
そこまで強調してなかった気がするのと(考えただけで気持ち悪い)、覗きとかフェティシズムとか人形とかグ
ロとか私は関係ありません。ので念のため。
ベンヤミンもそういう系列の人でも無いように思え、それを発想した2002年ごろからどれだけものを考える自由
ないのと思うと吐きそうになる)。
・・・病気とか亡くなりかけの男性に対してウィークポイントみたいなものを作りたくないので、こちらの発想に
たからないように懇願するしかないんだろうか(ことにベンヤミンについて考えるとき、もう一切関係ないです
ってば)。

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使わないとはいえ資格(ボディセラピー)の更新費用を払わないといけないと思いつつ、ついストレッサ
ーというか基本どうしょもない流れの言語化に時間を費やしてしまい、でもこれで少しでも腑に落ちる人
が増えてくれるといいと思う。
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他の自治体は本当に分からないにしても、保育ママの全員登録とか建物の高度規制廃止とか、凄く具体的な
事のように思える・・・。


澁澤龍彦について備忘:
初め「東西不思議物語」と「暗黒のメルヘン」。
その後94年から「幻想文学」を購読しており、澁澤龍彦は一番人気だったのだが「幻想文学」が終刊するときに
「ドラコニア奇譚集」が出たのじゃなかったかと記憶(「幻想文学」の書評子「きねずみあん」が浅羽道明さん
なのだった)。
バルトルシャイティスは図書室に全部?(じゃ無いかも知れない)あった。
 上記は調べてみたら出鱈目で、幻想文学の別冊渋沢特集がそのタイトルで終わっており、バックナンバーを売っていた近所の大型書店で最後に買った幻想文学がそれだったかも知れない。              ♪
・・・「幻想文学」の編集者をしていて自殺してしまった女性が居る事を知る。
http://homepage2.nifty.com/waterways/oquba/
この人25歳で亡くなっており単純に可哀想だと思うのだが、2,30代で幻想文学とか吉本隆明とか、何か解釈を始め
ようとするだけである種の傾向の男(一回り以上年齢が上)の精神的なたかりの対象になるのもある意味じわじわ
死に追いやられるような感じだよなぁと思う(とは言え自殺願望とか全くないのだが)。気持ち悪いのはこういう
「異端」の系列に人体実験だの洗脳もある事で、でもそんな事で無駄にストレスを抱えるより本当に医療に使って
欲しいよねという気がする。

 以前頻繁にブログをパクッていた糸井さんもそうだし他の方もそうなのだが、このあたりのお話を読んでても
それをネタに社交したくない市井の人を放っといてくれないですかね・・・と思う。
 いわゆる「業界人」みたいな人もそうなのだが、とんでもない壊れ物が多い気がして関りたくないのと、他人に
行動を制限されずに気分よく過ごすことに比べたら、何かデリダの話を人とする事なんてどうでもいい感じなのだ。
デリダの話で何となく人と馴れ合うより、普段の生活でさらっと気分よく人と関れる事の方が今の自分には大事
だし、何かそういう時間を積み重ねて行った方が今後幸せで深みのある人生を送れるような気がするし、考え事を
していて落ち着かないなぁと思う)。

          ♪
 ともかく、「ある向き」には、今後ベンヤミンと谷川民俗学(に限らず、練れたテクスト全般)を読んでる時の
私の心身にも思考にも、一切関心持たないで下さい、と伝えたい。(心身の方は基本「異端」関係ない方に、健康
体のまま持ってきます)。          ♪