現象としての人間

bobbinsmall2012-02-05

 年末に購入する予定だったのだが伸びて一昨日
手にする。が、薄々キリスト教圏内で完結している
(というか、通りよくなってる)問題提起があって、
ある種の意識の問題もそれの応用なのではないか、
と思っていた、その事の裏づけになるような事が
書いてあり、面白い。一気に読むには難しいけれども。
 例えばこの本で「精神エネルギー」と言われている
ものを、「意識する心」の意識定義と並行させても
完璧に重なる(最終的に唯物論か神学に内包されている
ものと見るかでかなり違うのだと思うが)。
 だから信念体系をカトリシズムからカルトに変えて
焼き直ししても仕方ないのだと思う。二度手間でしか
ないのではないか(カトリシズムも不穏な熱狂みたいな
ものがあるように思えてよく分からないのだが)。
それを信じようと信じまいと、キリスト教圏内での問題提起
って大きかったのだなぁと今更ながら。大雑把に言えばキリスト
という進化の最終形みたいな人が居て、意識的存在はそれと契約
した上で緩やかに自然の意図を汲み取って上昇する、みたいな
イメージに牽引されてる部分は大きく、無神論者でもそういう流れを
まるっきり無いと見做すことも出来ないなと思う。映画見ても音楽聴いても。
(装丁がオーソドックスで素敵)。
        ♪
ポットスタンド買わないとなぁ、と思いつつ、こうして
歯が鳴る位気温が低くても芽が出てくると大変楽しみ。
シャルダンの地球圏内の細かい分類は面白い)。

       ♪
内在とそこで組成してるものが何なのか、という事にまともに
拘る系列の話はスッと理解出来るのだが、要は新興宗教はごちゃごちゃ
し過ぎなのだという気がする。胡散臭いし、うっとおしい。

不必要に細密に見える筆致で金魚の模様が描かれているキャンディの殻。丸くて舐めていると藍から薄いレモン色を通ってモーヴに不審な色の変化を遂げるキャンディで、卵のような陶器質なのだが、包む殻は蝋引きの上に紅色で水面を少し潜る金魚が、二匹描かれている。それぞれが尻尾を両端にして、キャンディの真中に泡の立つ口を寄せているのである。