赤いサンダル

 電車に乗っていて急に思い浮かべる。ストラップが甲の上でばってんに
なるようになっていて、ウェッジヒールに横一文字にずらっと真珠がついて
いる(何でそんなものを思い浮かべたのかよく分からない)。

            ♪
集団での祈祷と幻想の発生について、物凄くご都合主義で世相とミスフィットな
状況を遂に抜けられなかった世代という事を思い浮かべる。17年前にそういう
轍を踏んで、現実感を揺るがせたけど皆が軽蔑しきったという事があった
にも関らず。そういう人たちの集団性が何で留保されていて、どう居心地悪い
のかちゃんと言葉にしないといけない。(そこには神秘主義
澱みたいなものがあるのだが、同時に下らない強権発動でもあって、やっぱり
個人が個人なりに蓄積した実存的な状況に比べると見え透いているのだ、という
気がする)。

            ♪
 内分泌とか腱にくるタイプの体感のおかしさを先に感得させた上で、オカルト
っぽい妄念を押し付けるということがしようと思えば出来てしまう訳だものね
と思う。だから霊媒的な事にはまっててその事に無自覚な人間と(無自覚という
より一回そういうモードになるとクリアに出来ないんだろうが)単に関るべき
じゃないと思う。こっちが関る気がなくても糸井重里のようにしつっこい奴も居り、
単純に迷惑なのだが(また「糸井重里 気持ち悪い」とか「糸井重里 カルト」
で検索があった。というか今「糸井重里 嫌い」で検索があった。私も嫌い)。
 そう考えるとある種の「クリエイター」ははっきり社会の害毒というか、メディ
エーターとしておかしい存在でしかないような気がする。
厄介なのは何かの勧誘のように、その場で怒鳴れば済むわけじゃなく、この人たち
が一方的かつ継続的に他人を「呪ったり」訳の分からない方法で個人的な環境に
アクセスして来る事で、思わず成り立ちからしておかしいマーケティングとセットの
存在なんじゃないかと思ってしまう。まともな判断力があれば手帳は手帳屋から買うし、
呪う人のえせ道徳行為を購入することもない。