アンフラ・センス/生体電流

ある大変良い事があり、これでまずまず大丈夫と思う。

下位情動か無意識か分からないが、一瞬思い浮かべたのみの事柄に自分の意識化された部分は固執しておらず、現象はスッと過ぎ去る。はずなのだがおかしいコミュニケーションだとそれが込み入って自分の心身まで巻き込もうとするので厄介。何事も観念に囚われるとほんとに気分悪いわと思う。

     ♪
出先の整体室で「生体電流」という項目の記述を読み、こういうものがデータ化出来るのであれば医局とかは
(本当のところ)人体実験したい筈だよねと思う(これはオカルトとかメスメリズムっぽい概念じゃなく、人間
自体が時空間に置かれたオブジェクトで目が電磁波を色として視認している以上仕方ない)。
 ただカルトが勝手に取り込むまでもなく、一旦考えとしては練られた筈だし、人間の人間らしい生活というのは
生体にかかるエネルギーだの抑圧を問わない領域でしっかり形作られているものだろうと思う(現象学が大事だと
思うのは、心的構造や記憶をそういう抑圧体制に絡めず取り出せるからだ)。
中途半端なオカルトや祈祷が浅ましく嫌なものに感じられるのは、法制化されていないのをいい事に、本来なら科学
的な語彙である程度説明出来る筈の事柄まで彼岸の領域に置いている部分。それで何がどれだけ増強されているか全く
読めないというのが現状ではないかと思う(だから、自我構造に急激に働きかけて急にそういう世界にぶん投げられ、
ほんとうに辛い思いをしている人というのは、妄想でなく居るだろうしきついと思う)。
 そういえば「水からの伝言」を書いている方は、体表を流れる電流が現実の質を決めるのだみたいな事をレプティリアン
の怪しい人と対談していた(レプティリアンの人は英国緑の党と袂を別った人らしいのだが、ある種の左派的な感覚とか
ディープ・エコロジストに疑念を抱くのは、そういう対処に困る伏流というかパスを沢山持っているところ。逆に言えば
個人で質を決めにくい体験だけ先にさせてしまえば、幾らでも神秘主義のパースを捏造出来てしまう事になる。が、ヴェレダやクナイプやグルジェフ・ワークの音源がとりたてて霊感商法でもなく人体に悪影響でもないように、活用方法を画定すれば特に問題を起こさないようなものもあるのだ。この辺りの整理がいい加減なのにはちょっと歯がゆい思いを
する)。

                ♪
 昔から本当に謎なんであるが、日本文学は何故こういう領域のお話が抜け落ちるのか。
 ・・・シュルレアリストは(いわゆる「シュールな」話と別に)神秘主義折込み済みの唯物論者だし、
 ビートの詩人とかは本当に監視されていたのだし。まともに内在性の中で、それらしい時間感覚の
 回復を試みていかないと、すごく長い時間を曖昧な神秘主義的スタンスの中で過ごす事が強いられる
 ような気もする。(団塊ちょっと後の「クリエイター」が悪辣だと思うのは、そういう迷妄に対して
 止め処もなく自分に甘く他人を罰する傾向があるところ)。
                ♪
ドグマの配信元になっているものをとっぱらって、まともな職業分岐した感覚で切り回すだけでずいぶん
ストレスの少ない社会になるような気がするのだが、それは「妄想」なのか。
明らかにメディアというかメディウムが混濁しているからいけないのだ。