室内構成の

・・・電車の中で岸田国士のあとがきまでを読みきる「博物誌」(以前よんだのは黄ばみやすい白い表紙に
ブドウの絵が書いてある新潮文庫だった)。
「彼が自然を愛し、草木禽獣のいのちを鋭く捉えたことは事実であるが、その奇警な観察をこういう形式で
纏めようという意図はもともと著者自身にはなかったかも知れないのである」とあり、草木禽獣のいのち
を捉えるというのは(現象としての人間のせいもあるかも知れないが)、何となくそこに在る生物の気配から
あり得ることなのではないかと(暖かくなりつつあるせいもあってか)思う。
ナビ派、日本的なナビ派、の呼称にちょっと心理に触れるものが(何だかこういうのが好きだと思ってしまう)。
鷹揚な感じの動物の絵がいっぱい描かれているのだが、何か一筆書き的で笑える感じもある。

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世間みたいなとこを最初からあんまり浅ましい(目的論的な)構成物として捉えないようにしたいと思ってても、
それが問題視されると心身根こそぎにされるという事もあるのかも知れないと何となく(でもその事に対する反省的
意識が生きられる余地はあったはず)。でも生きていたり生還してる以上は、そういう変な領域で潰れる人が減れば
良いという様なことを思う。
 中井正一帝王切開で生まれたという、一つの医療的な出来事を思想上の支えにしてたことを思い出した(機械論
的なパースペクティヴと、じぶんも単なる草木禽獣的ないのちでしかないというのと、凄く子供じみた感じで思い起こす)
(以上何も参照せずに、単に感じた事として)
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