フリークス

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB
            
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「博物誌」なら読めるかもと思いまず(当然日本語で)ざらっと読み返したが、岸田国士版がずっと重版されている
事に驚く。そして子供の頃は全然興味持たなかったが、ルナールが殆ど(心理的に)フリークスみたいな人という事
でちょっと親近感が沸く。
普通に会社勤めしていたら、盛況だった新興宗教の中で焼き直しされた神経工学の怪しげな手法で自我感が無くなり、
それでも文学への思い止まずやり直しをしようとしてルナールを訳せるか読んでみる・・・私家版を作ってみる・・・という
事があってもいい筈。と思い、ペーパーバックで「博物誌」を探すが、原文がネット上にあるようなのでそれを頼って
みることにする。
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韓国系カルトが動物を比喩に使うときの下衆さに吐き気がするんだが、犬猫魚などはやっぱり人間の心理によって生存
感覚をどうこう左右されるものでもなく、糸井さんみたいに自分の飼い犬に人間を擬えてるような下世話な心象と無縁なのだ(取ってつけたように思い出したプロテスタントの考え方で説明するのは難しいのだが、この辺りキリスト教世界で相当
彫りこまれた訳であり、それを昇華不全の宗派が良いように解釈しても全然具体的じゃないような気がする。その上人間
に当て込まないで欲しいという気がするのだが)。
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デルフォニクスの手帳を3年程前に使っていて割と使いやすかったのだが、手帳やっぱりシンプルでその日自分が何を
したいかすぐ分かるのが重要という気がする。
 別段スポイルする必要もないようなシンプルさや明快さに対する、ある世代(というか数名の個人)のクリエイティヴィティのくどさが凄く違和感のあるものに感じられる。

マーケティングは大事だろうと思うが、悪評もみ消しに大枚はたいているクリエイターの売る手帳にはその費用が乗せられてる訳で、そう考えるのが資本主義の煮詰まった段階の現実感を生きる普通の人の感覚だろうという気がするのだが、なんかそういう実感全てに目をつぶった所にイトイ的な世界が築かれている訳だと思うと、とても気持ちわるい。

使徒行伝」のなかのパブテスマだの聖霊の話を思い出す事はあまりないが結構好きで、要は悪いもので心身の肌理が損なわれないよう水で清める話なんだが、別にキリスト教関係なく普遍性のある感覚なのではないかという気がする。
マインドコントロールの方法として、やっぱり何が決定的なテクネーか分からないが(逆に人権感覚おかしい手法をどう回収するのかねと思う)、一つ比喩で自我境界を曖昧にして追い込むというのはある気がする。にしても、内的な構成がそういう悪意をしっかりフレームの外に出せるように作用している人も沢山居るだろうと思え、要はマインドコントロールされにくい人だと思うのだが、そこへ徹底してしつこく振る舞えというのが教えらしいのだ。