フンデルトヴァッサーは無駄か

・・・大阪のフンデルトヴァッサーのゴミ焼却所って無駄なのだろうか。
太陽の塔の背中にしょってる顔がモザイクタイルで出来ていてお金
かかっているのと同じで、確かに細かい部品が沢山あるが、全然
無駄な支出じゃないのじゃないか、と思う。本当に残念な事に原発
事故後の今となってはという感じだが(こんな事ならちゃんと見て
くればよかったと思うと共に、今月ソープカービングの試験受けに
京都に行くため、時間があれば何か見てこれるかとちょっと思う)。
民族学博物館を是非・・・関東にもと思うと悶々とする。

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・・・リアルタイムでほのめかしが来ると流石に気持ち悪い。

これは彫ったばかりの蘭の花を写真に撮ったのだが、
直後30分位してからの茂木さんのTwitterに蘭の花の
ほのめかしが。
・・・この調子で7年嫌がらせして来てるが、こういうタイプの
訳の分からない人たちに文化だの文学だのの采配が不当に与え
られて、ものの見方がある意味固定的になっているというのは
「陰謀」でなく、単にバブル以降の出版業界の売り方の問題だ。
(だったらいっそのこと、出版物は電車の吊広告になっている
あの雑誌だけにすればいいのじゃないかと思うが)。
もっとオルタナティヴに色々とあった筈のものが、みんな何処に
行ってしまったのだろうと本当に訝しい気持ちに。(大体、文学も
音楽もアートも、さっさと市場化する事より単に自由であることの
為に造られているのではなかったかと思う)。
こういう事情を、生活してるか普通に仕事している人の方がよく
分かっており、ひたすら目を背けてるのは文化生産に携わってる
ほんの数名の人たちのような気もする。
どうしょもないことにその数名が脳科学だの神経工学をオーソライズ
する立場だと世間から思われていた(少なくとも、脱税だの何だので
化けの皮が剥がれるまでは)のも、下らないと心底思う。
潜在的にDV男含有率の高い領域と医療が絡んでると、そこ通る女が軒並み
メンヘラ化するんだろうし、それに蓋をしてるのがカルトと自殺嗜好の
文学となると終わってるなという気がする。
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チューリップも順調に丈が伸びているが、この時期に暖かくないと
何だか1年うっとおしくなりそうな気がし、早いところ気温が上がりきって
欲しいと思う。

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陰謀論は下らないが、地勢的に巻き込まれ易いにも関らずインフォメーションが
まともに文学の主題に浮上してこないことも不自然だという気がする。と、いうより、
海外文学は自我欲動の問題とも自殺とも切り離したかたちで、ちゃんと陰謀を取り扱って
いる気がするのだが。(例えばMKウルトラはビートルズもそれ以前の50年代のビート詩人
にもかかる本当のお話だった訳で、そのファンクションだけ切り取って書かれたパラノイア
の産物でない作品も沢山あったはずだが、何故か日本だとそうならないのが不思議で仕方ない)。
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「彼女は部屋を見せてくれた 素敵じゃないか、ノルウェーの森」が片岡義男ビートルズ
詩集のフレーズだったことに思い至る。(さすがに小説読まないのだが、13位の時に古本屋
ビートルズ詩集買い、聴きながら読んでいた)。

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チャーマーズを読んでいても思う事なのだが、1970年代位には何というか精神医療とかエコロジー
織り込んだアマチュア現象学みたいなものが普通にあり、当然金の流れだけで意識の内包物が取り決め
られるという事もなかったようなのだが、日本だとカルトのテロもそうだが精神世界絡みの話がすぐに
オカルトか怪しい集金組織と癒着してそのまま固着してしまうのだと思う。
 そういう固着を自分なりにクリアにする為に、いわゆるスピリチュアリスム関係の本を纏めて読んだ
事があった(シャーリー・マクレーンとかバシャールとかカスタネダとか)。怪しいのだが心身を痛め
つけたり人格障害を無尽蔵に容認する事はなく、第一どちらかというとユーフォリックなものだったのだ
が、何で日本だと神罰とか自殺とか憑依とか呪いの話が優勢になるのか。
その状態では、「意識についての科学」なんて成り立ちようがないのではという気がする。(この辺り、
本当は本家本元のチャーマーズとの違いもしっかり言語化した上で、オカルトと資金繰りと疑似科学
動機は意識の領域の研究を陳腐化するので、誰かがはっきり下らなさを指摘すべきだと思うのだが)。