現象学/カルダーのモビール

 どこかで大きいカルダーのモビールを見たことがあるはずなのだが、どこでだったか
よく思い出せず不審な気分になり、エスカレーターを降りながらなんとなくそれらしい
形を描いてみようとするがうまくいかない(ボリュームとしてどれ位のものがどういう
状態で掛かっていたか)。
定礎性もそうだが、陰謀が在ると感じさせるのはおそらく不必要に堅牢なメカニスムの
部分が知らないうちに動いている(どう止めようもない)という思い込みにも起因して
いるのだろうが、ペースメーカーを入れた人や心臓神経症の人が陰謀論者になり易い訳
でも何でもないような気がする。
ただ通常思い慣わされてるよりもずっと、思い浮かべただけの言葉に対する距離を一方
的につめられることはあり得る。その結果どうなるのか(例えば何らかのプライズを
求める結果そうなのか、端的に下世話な関心からなのか)、よく分からないという気に。
(またそういうコミュニケーションがどうでもいい領域では、全くそんな事は課題になって
いない)。

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そういう事ではなくて真綿でくるむように現象学とか、生活世界に現れて消えるものの
安定したフォームがあり、言語で名指されていて無闇と妄想知覚に人を結んだりしない。
それだけで十分なのだが、「アホ」と呼び習わされてるものは何の解に結ぶ用意もなしに
唯のノゾキと化すような心性を言うのだろう。
で、茂木健一郎は唯のアホで汚物だ、と言ったとしても誰にも嫌われないような気がする
のだが、ほんと50年配でこんなおかしい感覚の思想家だの科学者が出てきた事なんて無かった
んじゃないかという気に。体感として破防法を適用して欲しいくらいキモイ。実際問題、ぐちゃ
ぐちゃの食べ物もそうだが凄い嫌われてるのだと思う。

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カルトもそうだがマインドコントロールまがいの目に遭ったことでじぶんの比較的親和的な
宗派の記憶とモードが、心理的に強調されることはあるのかというような事を考える。
少なくとも三年は毎日曜教会に行ってた訳だし、非接触型のマインドコントロールは「科学的には」
言及も分節も出来ないもののようなんだが、じりじり体調に不快があったときやっぱり水浴の事が
まず一番初めに思い出された(と、同時に、「あ、これは悪い」というのは、「ボルネオホテル」の
ような水溶性の不穏な感覚として感得された)。
日本のキリスト教人口少ないはずだが、単に文化的な広がりとして、キリスト教ユダヤ的なもの
というのはあるんじゃないかという気に(ほんとは日米関係とかとも陰謀と関係ないレイヤで深く
関わりがある筈なのだが)。

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針金と羽根で出来た構造物というより、単に硬い壁一面にそれはきれいなクラックが叩いた卵の殻の表面
のそれのように走っており、それらは奥底でつくりそのものに深く組み込まれており、クラックといって
何かの組み込みが行われたことのしるしでもある。遠くに風の吹く鮮やかな通りの一片を透かしみるため、
ひとつ穿とうとしたのがどこまでも滑っていったかのようにも感じられる。

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「百貨店の登場」の勧工場も「パサージュ論」(パリ・19世紀の首都)の「流行品店」も並行に分かるし
読めるのだと思う。
フーリエファランステール(切りがなくなるのでかかわらない)でそう予見していた、といわれると、
何か最初から陰謀と分離できる都市構成なんて無いと思えるすさまじさ(全然関係のない、「ニューイヤーズ・
イブ」の事を思い出しながらそう考える)。何故か岩波の「パサージュ論」を各二巻づつというおかしい買い方
している。「陶酔論」とハックスレーの「知覚の扉」探さねば。


大体脱税の時点でテレビから干されてるべきなのに、何が似非科学者を永らえさせてるのか解らないのだが、えげつない行為障害者が時期外れにバブルみたいな状態でありたい、というだけの話なのだと思う。
なんで私が巻き込まれた上に「柔らかいことば」(これ団塊とかから聞くと寒気するのだが)とか掛けてやらなきゃいけないのか全く分からず、汚物好きを数名で使えばいいんじゃないのと思う。
お前キモいから付き纏ってくんなよ、と言われて理解出来なくなる時点で脳もそうだが心の病じゃないのという気がし、それでも自分を買いかぶり続けられるほど脳科学者なんて偉いかねと思う。疾病の研究とかしてる人は偉いが、そういう人ははなからクオリア理論に取り組んでないんじゃないかという気がする。
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ひと抱えもあるくらいのものすごく大きいプードルが散歩しており、かわいく、プードルってティーカップに入る位のから色々なのねと思う。

妄想知覚と内在、というものより、当然そうじゃないものを多く(自分のある次元として)構成したり引き当てて過ごしている、という事に気付く(というか、そうある)権利(あまり好きじゃないモードだがス○○ロよりの−二度と書きたくないこの言葉−耽美という最苦手というか気味悪くてあり得ないモードに比べたら全然ましな気もする、細かい差異がクラックのように走っていて、それは生体に及んでいるのだが、単純な分岐の感覚に還元される、という状態)。

ある時期ほんと楽しみにエリクソンの小説を読んでいた事、あの時に感じ取った連続性の感覚がなにに由来していたかつらつら思いながら、プードルちょっと撫でさせて貰えばよかったなどと思う。