なぜか

関東の本屋には無かった「自殺する種子」が難波のジュンク堂にはあったため、購入して読む。遺伝子組み換え恐ろしい。食べ物を食べてすぐ影響が出る程人間はやわではないだろうが、生態系自体がたわんで別物になり、それに最早SFみたいな楽天的感覚を覚えられないだろうというのが。遺伝子組み換えされた種子よりそれが自然に繁殖した場所の農家を脅しつけて訴訟する感覚が凄いと思う。
と同時に、植物の遺伝子操作がこれだけ進んでおり、人間の遺伝子を調べたいという欲求が無いわけないじゃないという気がする。大学病院で勝手に医者が髄液かなにかを採取して問題になってるみたいだが、同じような事精神医療の分野とかで起きてないんだろうか。脳の遺伝子が組みかわるというニュースを思いだす。(普通の人に投薬したり人体実験まがいの事をするというのは、かなりベタな欲求のように思え、何かそういうえげつなさを含めて医者嫌い。医者が下らないドグマ的な事考える時の下らなさって半端なさそう。さらっと内省してちゃんと生活してればすむのに台無しにしそうな気がする)
どちらにせよ感覚質を研究するみたいな曖昧な話じゃないのでは、と思う。
うまく書けないがいくら超越的なオカルティックな事柄に見えても、オブジェクティヴな成果や結果が張りついて推移しているはずであり、その当たり前のデータが取れるのが科学的主体性のはずだが、駄目なものはケンブリッヂに行っても駄目だ、ということが分かった。
 ・・・そして、分かり易くオカルト的なものに科学の権限を丸投げするのだという気がする。
 ティヤール・ド・シャルダンはよく分からない熱狂的な感覚に包まれて時空を発想し、そこで神学も進化論も矛盾しない
かたちをつくろうとした、そのどこまでが科学的でどこまでが神学的なのかよく分からないが、少なくともあからさまに
山師みたいな人に自分の判断を丸投げする事はなかった(それで結局北京原人のようなものを見つけたのだ)。
 同じように、スピリチュアリスムも本物の体験では変な暗示みたいなものからのプレッシャーを感じることがなくて、
ちょっと信じがたいような偶然の一致(想起)と、ある人が持っている固有の精神的な要素が重なるような事が起きるよう
な気がする(そういう経験をしたことがあるが、ちょっと書くことは難しい。ただ「精神世界以前に、そんなの立派な
傷害沙汰じゃないですか」と思ってしまい、また私のように霊感のない人間では視ないで済むものを、その方は視て
いるのかも知れなかった)。

                 ♪
代替医療のトリック」電車の中で読む。まともな本。正統な医学の周辺事象に過ぎないと思われていた出来事や指摘(特に統計的事実)に、病理を取り除く具体的な解があるケースがないがしろにされていないのがいい。
医者は伝統的にバカだと思われにくいが(ある意味生殺与奪の権限に近いところにあるため心理的防衛が働いて「おかしい人」にカテゴライズされずに済むが)、勝手に髄液採取みたいに人間の生体に対して汚い医者が自分の健康を脅かしてきた場合どう心身を護るのか。ほんとはスピリチュアリスムでない代替医療の見地から正統な医療とみなされるものを監視すべきなんだろうし、そこで不審死や自殺が起きていたら内実をしっかり解明すべきなのだろうという気がする。
(自殺については、三万人超で推移してるのがおかしいのだからデュルケムの自殺論みたいに、どういう外因でそうなったか自殺者が所属していた宗教とか親族の宗教的傾向も含めて調べるべきだと思うのだが)。