hum hum♪

狭いところにぎっしり植えすぎだがポピー。
道端を歩いていても密集して咲いているので大丈夫な気もする。

     ♪
原発停止すると当然電気供給量が減るわけで、今使ってるハロピンの照明も結構しっかり照度があるが、
LEDの点光源で光がどれくらい取れるのか考えてみないことには。

    ♪
呪いもそうなのだが、攻撃の対象にするのはあくまでも裏金成金だけで、世間一般でもその人たちはおかしい
と思われてる、という気がする(20〜30代で、その宗教に成り行きで入信していた人などは、別に隣り合わせ
ても熱心に入信を勧めるわけでもなく、ほのめかしもしてこない事を経験則で知っている)。気味が悪いのは
徹頭徹尾バブルと同じ事を
新興宗教をアテにしたい人たちで、その暗示的な言葉遣いに巻き込まないで欲しいという気がする。
糸井重里は、ほんと80年代くさいいかがわしいオカルトを遍歴してきたような人に思え(織田武道みたいなセンス
というか)、もうそういう佇まいだけで気分が悪くなる。なんというかオカルト特有のじめっとしたダウナーな
感覚を嫌っている人は、潜在的には多いのだという気がする。
    ♪
レ・クリントとかも一滴も呪いの成分が混ざってないような気がするのだが。
http://www.rigna.com/brands/le-klint

心理主義小説のような流れと抑揚のある言葉の群れが、空とか雲、地面に群生する植物に沿って次々流れて消えていくような気がする。この季節特有の固有で素晴らしい感覚。
くっきりした羽根の広がりを持つ鳥みたいなもの、空気の中から揺らめきながら出てくる白と薄いオレンジ色の光の束みたいなもの、を発想する(立体化したスピログラフのような)。

現象学、やっぱりいいよねぇという気がし、構成物とかそのなかにある時空のまざりあったものに心理が触れて揺り動かされるという事があるのじゃないかと。 符丁は全部そうかもしれないが、皮相な部分で差異化をめぐる些末な出来事みたいなものに囚われると生命感が損なわれるというのはあるなという気がし、そういうものが被害を受けてる人にとって<電磁波攻撃>と感じられるのか、それともある程度のボリュームで先に他人の生活を損ねるテクネーがあるのか、 まずそこをはっきりさせないといけないという気に(私は後者と思うが)
    ♪
「このシェードでLED電球入れたらどれくらい照度が取れるのか?」みたいなことを単にフラットに感覚する
のって大事な事であり、そういうプロセスに対して無駄な事は無駄なのだが・・・
端的に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」もそうなのだが、安直に新興宗教から金を搾れると踏んで、業界人と
して居座ってる人に用事がないのだ。あと自殺についてくどくど書いている人から手帳を購入しないし。
何だかもう、無駄な情報の束をクリエイティヴィティと呼びたくない。にも関わらず空疎な采配を振るっていたいと
して、私は糸井さんの周辺の人にノゾキとかパクリを止めるように説得して欲しいと思う。