抽象と感情移入

感情移入や情動の動きみたいなものに対して、安定した抽象性と定位性に自己意識の基盤を置くタイプの
芸術があるというのは、シンプル過ぎるようでいてほんとそう出来てるね、と思いながら読了。とても
いい本。
「サイキス・タスク」は、これに対して呪術とか精神感応の領域と民族性を取り扱っているため、気持ちの
悪いオカルト女性とか新興宗教にはまってる男とかもその中の様相を適用して読めるのだが、それにしても
全部別の領域で起きてることとして情報整理してもいいような気がする。

蕾を見つけた三色スミレ

        ♪
思い返して編み物をしてみるが、次はゲージをしっかり取って製図しようという気に。
キモノスリーブとかドルマンみたいなのにストッとしたスカートとかいいなと思う。
近所でベージュのカラードコットンを取り扱っているすごく素敵なお店が期間限定で出ており、
カセでひとつ買ってみる。、少数民族の方が作ったものらしいので丁寧に編もうと思う。
(かぎ針のパイナップルというのがあり、かわいいのだがうまく編めるか分からない)。

        ♪
数日、単に生活世界は質量に還元されないし可視化もされないのだという事をイライラと思う。科学や量子力学はそのあたりを勘違いしているのではないか。
 確かに幾らでも還元や可視化できる生活の様相というのがあり、還元出来るにも関わらず単なる素朴実在論的な人間
の中にある感情を触りえないものとして取り扱うのは馬鹿げているし遅れている、と見做す科学的主観は成立するのかも
知れない。でも、その主観が専横から、高度に可視化して還元的に取り扱った人の心理の残骸のようなものを「分裂病
とか「統合失調」と名づけたらどうなるのか。
 「ビューティフル・マインド」の事なども思い出しつつ、そういう専横が深部(というより、何処か潜勢的なところで)
進んだ社会を思い浮かべる(陰謀論とはまた別の話として)。
       ♪
こういう事をちゃんと領域論的に分ける修練をしていないのだが、最初から期待値だけで大量に持ち出しして
許されるような分野なんてないんじゃないのかなという事を、改めて思いつつ。脳科学と医療が真っ先にモラルハザードを起こして症候を作り出している、という事はあり得る。