これは

bobbinsmall2012-06-12

結局何の花なんだろうか(もう15年近く、咲いては増殖を繰り返している・・・)。

ぐんぐん伸びるワタの苗。

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仕事のカタログ整理をしつつ、ワタいいなと眺める。

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アートも文学もオカルトすれすれの科学も、「お前警察呼ぶよ」の一言で済ませればいいんじゃないか
的な、形式を伴わないものが増長し過ぎなのだ、と思う。
 良かれ悪しかれキリスト教の内在規範というのは感性とか直覚とか想起がそこに帰着すると思われていた
形式であり、それを整理せず、まるで削除するか他人から流用するカルトに普遍的な感覚はないように思うのだが。
ポストモダンは「多様」だったのだろうが、それからだいぶ時間が経って、恐らくアメリカのようなところでもヨー
ロッパでも不況が外因で事態は単純化しており、一筋縄に民族共生が言えずキリスト教回帰する部分とそのオルティ
ネートの陰謀的なもの(イルミナティユダヤ陰謀論フリーメーソンの想定)が雑居しているような感じなのでは
ないか、と思う。にも関わらずそういう言明も全部妄想として処理しないといけないとなると、何か生きていて何も
感じられないという事になってしまう気がするのだが(YOUTUBEの中もかなりの映像が妄想と呪いの産物という事になる)。

その団体の幹部の逮捕で十七年前のうんざりするような感覚をかなりしっかり思いだす。(にしても、独善で化学テロを起こして被害を受けた方が寝たきりになる反面、通報が何百とあった中で十七年潜伏を赦すってどんな構造なのか。介護職についていたというのも不気味)。
80年代にその宗教を煽った業界人は、その後いくら人当たりよく雑貨を作ったりしていてもメンタリティが一切変わっていないのだと思う。

意識内容が汚物っぽいので整形とかリストカットにやたらとこだわり、実際整形させられるとか、新興宗教つながりの男に訳の分からない言明を押し付けられるとか、単に病んでるような気がするのだが。何だかそういう過剰性が自我の対置物になる話も九十年代までの気がする。でも中途半端なアートかぶれとかって、そこで自己決定する人間がいないと自意識が補強出来ない訳である。
そういう人たちはほんとに汚物を口に入れたりするし、そういう病的行動を支えられるのも新興宗教だけとなるとほんと気持ち悪い。おかしいのだけで完結してよと思う。

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・・・結局はタカリの構図の問題、なのだと思う。が、別段末端の信者の方は問題行動ばっかり起こしている訳でも
なんでもないのだし、もう消えた方がいいような人がいつまでもその宗派にたかってるというだけの事なのだ。
 アートでもすっきりしない系列はその宗教の資金繰りにべったり依存する他ないのだろうと思うが、単に気持ち
悪い。

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我ながら生真面目だと思うのだが、こういうどうでもいいようなクリエイターじゃなくて農地再生とか公共建築とか、被災した人の心理的ケア(ラカンとか関係なく)にお金が回るようにしないとどうしょもないのではという気に。