清涼感


こういう清涼感のあるヴィヴィッドな色が好きだと思いながら。

ペパーミントも出てくる。

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Deja vu でなくJamais vuがどうとかこうとか色々とあった(反復についての原則が)気がしつつ。

クオリアマニフェスト」の中の、「オルガンの音をキリスト教と結びつける必要はなく、仏教でも
よかった筈だ」というのは確かにそうなのだが(可能世界論を異常なまでに単純化した作文か)、信念体系
としてあるキリスト教自体はそんなに「ポスト構造主義的に」解体できるものではない(デコンストラクション
のような手続きとまた別のレイヤに再帰する筋立てとしてあり、結局「ポピュラーな表現」は、それを掬い
上げざるを得ないときがある。お正月に神社仏閣に行くのと同じような感覚なのだ。それに、ある宗教的体系に対して解体的に振舞った後、ある宗派性に(金や広報のつながりのような形で)借りが出来ると、結局その宗派の口ぶりとドグマを強化した上で表明し続けなければいけないものじゃないか、と思う。
ダンヒルのライターを現象学的に還元しても、全員がイデアリスティックな「美しさ」を取り出すかどうか
なんて解らず、またそれは固定的な事でもなく、それこそ反復を通じてどういう感覚を持っていたか露になる
可能性もあるのだが、こういう小林秀雄ならそれに全面依存した断定的な物言いで、「茂木クオリア理論」が哲学的命題でさえないのがはっきり解る)。
 哲学とも科学ともひたすら切れた形で、「主観性の物質的な基礎」が解明されるのは「アジテーション」と
「革命」の結果だという(「革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。」クオリアマニフェスト)。何を根拠に?
 そういう急き立てに洗脳とかマルチまがい並みの集金作用が絡んだら、大変おぞましい事態だと思うのだが。
 ハルマゲドンが来ないから、といって電車に化学薬品撒くのとどこが違うんだろ、と思う。
 日本一応信教の自由も何も信じない権利も、単に個人が平穏に暮らす権利もある国のはずなのよと思う。
 ・・・何処に行っても北朝鮮並みの無理な一元性って嫌われると思うのだが、メディアの偏向半端なく、何か当り方
がまずかった人で心身に障るような被害を受けている人って沢山居るような気がしてならない。
 脳なり心理の物理的走査が、社会実験としてあるのか単に入信させる為なのか、はたまたそこから(曖昧な話
じゃなく)科学的な成果物を取りたいのか解らないが、実際MKウルトラみたいなオペレーションは顰蹙も買ったの
だと思う。

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覚書として、在るものに今までなかった命脈を与えるという意味で、表層的な剽窃でなくオマージュを捧げる
というのは、とてもシンプルな「反復」の作業なのだ。
(個別のものに対する反復みたいなテーマを含まない、ジャン・デビュッフェみたいな形式も興味はあるのだが。
手元にあるポンピドーで購入してきたデビュッフェのペーパーバックを読んでみたいと思いつつ、何がカルトの
物理的な走査かとほんと腹立つ。糸井みたいな猿もそうなのだが、一番えげつなくてしょうもないものが一番強権
発動みたいな事をしてるだけの話のように思う。本来だったら一瞬気分を害されるだけでもイヤなのに、まあ追いこまれで自殺しちゃった人への償いをどうするのかね。人間の屑と思う)。
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 仕事就いてたんたんと現象学について調べながら、形式的にモダニスム文学(の、日本文学へのFIX)に
ついて考えるのなんて容易い事だと思っていたのだが、比較的専横しやすい処に居る主体(主観)がこうも毒され
てて短絡で、しかも囚われてる問題が他人の感覚に横槍を入れるものとなると、ほんとぞっとする。

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茂木健一郎はほんと小刻みにこちらの発想をパクるが、迷惑だと伝えてから7年この調子で嫌がらせしてくる
奴(しかも、テレビでキモい汁掛けご飯を食べさせられている)の方がよっぽど「品性下劣」だと思うのだが。
文体とか服装とか、何かそういうものをずるっとパクる人、すごい気持ち悪い(小学校位の女の子同士だと
そういう事があって気持ち悪いのだが)。こういうのを野放しにしてきた温床って何なのだろう。半端なくキモい
もので繋がってる気がする。変な目付きで他人のちまちましたものをずるっとなぞって、同じような服ばかり着てる、、というのは、やっぱりちょっとどうかしてるのだし、そういう人が宗教に入信してテレビで突飛な行動を取るのに、普通の人は困惑してると思うのだが。
クオリアマニフェストのいい加減さはもっと追及していいし、何で早速今朝「概念」なの?と思う(今まで一度も概念化だのオーラだの言ってなかった)。