考え歩きと構成

 天気がよく天空光みたいなものがさっと花に止まった感じ。
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 一時期に比べて色名にフラックスとつくのが多いなぁと思いながら
カタログを見たり考えごと。立体的な軸の上に一束、その色のものが
あるところを思い浮かべる。
 啓示の庭(という、自分の中で長く続いて、組み立てられている
感覚)。スーっと鳥が飛んでいく感じにも近い。鳥の体軸が止まって
反対方向に周り、また別方向にもくるくる回転する。

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糸井重里の仕事は、たぶんコピーライターよりはっきり自我が壊れたタイプの
美人局のネタ調達とかそういうもので、あとストーカー規正法より前から似た
ような事をしてたのが一般人をターゲットにするようになったのだろうという
気がする。今更ながら何で手帳とか食べ物売ってるのか。
それにしても何でここまで日本だけ、公器の盗用が問題にならないのよとほんとに
気分悪い感じに。現況でシュタージとかよりよっぼど異様な事になってるのだと
思う。
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フランジパニという名前のお花もよく聞くようになったが、これはプルメリア
事なのだと知る。

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啓示を受ける庭、と言ってもそんなに広くない。それはジューススタンドの車が
走りよってくる、その動きの後景としてだけ現れて、実際には何も植えるスペース
さえない荒れてくすんだ色の土の置き場だが、見るとき色々なものが行き過ぎた。
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アンドレ・ブルトンからの影響を明確にあとがきで表していたのが高橋たか子さん
だった事、もうひたすらに幾つかのカトリシズムを巡る本が恐ろしかった事(これは
高橋たか子さんのものだけでなく)、そういう事を思い出す。谷川民俗学もそうだが、
あんな風にしてたのは自分が16とか7だったからで、そこから進歩がない。インティメ
ートな場を作ろうとしても、それが盗用や吹きさらしの(もしかすると)神経工学の
雑駁なオペレーションに曝されているという異常。
にしても昔の文学者に比べて、ほんと週刊誌的に当て込まれた論説やらクリエイティビティ
が雑駁で無駄すぎると思う。

主観を起点に感情をとりあつめて、圧縮し定位してないと何もかもが成立しない。たったこれだけのこと。