海外旅行

で、親切な人が親切な可能性もなくないと思うにせよ、
知らない人と話すとしたら片言でも目的地と目的と
身なりをしっかり一致させて話す方がいい気がする。
オーストリアで話しかけてきた人に「分離派会館と
病理学博物館を見に来た。クリムトという人が(あれ
これ片言)」と言ったら、「分離派」
って相当イヤだったらしくあっちに行ったし、幾ら
甘い事言われても何となくオノ・ヨーコみたいな
感じで居るべきなのじゃないかと(その人がオノ・
ヨーコ知ってるかともかく)。(旅行中行動変だ
よねと言われ釈明)。

そんな事より成人後に内面を付与するために、
明らかに見た目とか雰囲気にミスフィットな場所(=物語?)を
あてがう事の方が問題なんじゃないのと。
学歴が幾ら上積みされてても、外見は女の子女の子してる人に
妙な戦闘能力の高さを要求して僻地に担ぎ出すとか(本人
は自発的にそうしたい訳じゃないのに)、そういうギャップ戦略みたいなもの
を文化生産にすり替えてる(差異化オタクみたいな)ある意味
下品な手口が諸悪の根源なんじゃないかと(まあ、みんな薄々
そう思ってると言われる)。
人種関係なくベタにベタな感じのキリスト教徒っぽさも、悪意の底が抜けにくいんじゃないかとかその土地で悪い事出来ない文房具やさんみたいな人なら道聞いても平気なはずとか色々。ベトナムを無償でガイドしてくれた中国人の男の子に今でも感謝してるが、チベット仏教の寺を日本なら靖国とか、案内してくれるのが古い教会とホーチミン廓とか、多分肩慣らししてるプロのガイドさんだったのだろうと思う。