大掃除/関西の同和利権と解剖学

より若干手前に、使いそうなカタログの総入れ替えをする必要があるように思え部屋の本棚の前をウロウロと。数年前に貰ったマルホンの木材見本帳はこの体裁で新版が出てるのだろうか。使った事があまり無いにしろベルックスの天窓リーフレットがある。

ついでに本棚自体買い換えようかどうかで大変に悩む。子供の頃のキキララ本棚を塗り替えて取っ手をつけたが、蝶番が駄目になり、でも何となく捨てるにしのびないため、もう一度位塗り替えをしようかとも。
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天気がよく何となく出先で考え事をするにもいい陽気。
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バカの壁」以降の言説に凄い違和感と気持ちの悪さを感じるのは、
何かご都合主義の医療的パースペクティヴと宗派性がそういうものの上に
築かれている気がするからで、やっぱり本質は相当気分悪いものなのじゃ
ないか、という気がする(そういうラインに心身が置かれる事を全く考えていない個人も、幾らでも想定出来る)。 状況に立脚したまともな批判の構えというものが必要なはずで、それは単に批判的であるという事じゃなく、医療絡みで開ける暴力的な方法が在るなら在るで在るように感じた上で現実を構成出来る、という事なのだろうが、越権に何が絡んでいるかを精確に言い当てる以上に必要なプロセスがあるような気がしてる(が、オカルティックで俗習的なものを完全に廃して考える事は結構難しい)。

取りあえず時間の許す時は天気図に集中しようと思いながらも、何かのはずみで意識に引き当てられたままの変なフォームってあるのだろうなというような事をぼんやりと。

変な犯罪とか利権の手口に一番忠実な方法で人(論壇?)を教化してるように見えるのは内田樹先生なのだが、今更ながら何故そんなものに付け入られるか凄い気分悪い(地震後に「沈む日本」というのも気分悪かったが)。根っからの異常者と思われる(し、ほんとつくづく謎なのだが何で不要に韓国化した仏文学が存在出来るのか?)
情とか共同体とか家族(姻戚?)とかに付け入って後ろ手で他人のものをパクりまくる…ってほぼ同等のメンタリティじゃんと思うの
だが。何故日本の「知識人」が、カルトの事件の時に逆ギレして開き直ったままなのかほんと理解不能