プルーストとシーニュ

を、お昼ご飯を食べながら再読了。10代の頃に初めて読んだときはそもそも何故統計的という事にドゥルーズが拘るか解らなかったし、当の「失われた時を求めて」自体、ラ・ベルマ以外好きという感覚が起こらなかったが、改めて読むとある種のコミュニケーションに内在する決まりごと(それはある側面で常に政略的でしかない)についてよく分かるという気に(意味のない対比にせよ、カフカに比べてプルーストの暗さが苦手なのだ、と思う)
カフカの自己充足してる人間の可愛らしい強さ(この世界に理解され得ないかもしれない)に比べると社交上の配慮にどこまでも塗れているプルーストは、とても弱体であるのと、単に同じような経験(記憶)が一度もない気がするのだ(だから面白いとは思うのだが)
たかが現実を芸術作品と重ねてもしょうがないが、株式公証人が裏社交界の女性を囲うとか書くことの意識に悩んだ男の女性への執着が暗くて理屈らしく、何だか相互に破綻した関係性の中で同性愛的な結びつきが強まるというのはあり得る事のように感じられ、ただ(記憶において)共有されてないのがブルジョアの作法のようなものなのだからぬるい。

誘ってくれてフェードルとか卒塔場小町を一緒に見に行った友人に、連絡を取ったら逆ギレされるような気がし、いじめの問題もそうだが守備よく抑圧する立場にありついた中年以降の男の異常というのはもっと言い立てられていいんじゃないかという気に(変な名前の子供が就職しづらいのは世の中が悪いのだろうが、親が八十年代限定品みたいな名前をつけた上に世間に後引き取らせてそのまま一度も職歴なく30過ぎてるってフリークス過ぎないか。そんな奴の教育論は聴くに値しないような気がする)。
というか普通に慰撫を共同体に要求してるのだから、世間もものすごい高額請求を彼らに突き付けてやった方がいいと思うのだ。
例えば年収四百万に届かない人が八割のクリエイター業界というものがあるとして、でも仕事に満足してるのでその中でやりくりしたり盗用せずエートスを守れている人が大半だとして、他の収入(裏取引とかパチンコ屋の取締役とか)があるにも関わらず単にクリエイターという立場に固執する人間が、権利侵害やストーカーをしながら何十年も居座るのを見過ごしたらものすごい損失になる。
脱税する科学者としない科学者なら後者に研究の資金が回った方がいい訳だし、大体ノーベル賞取るかもしれないという前評判を立ててやらなきゃいけない時点でまともな科学者より持ち出しが多いのだ。追徴課税だけでなく本気で財産を電機メーカーの再建にまわすべきなのではと思う。
BBCとかでどんどん脱税と過去のスキャンダルが摘発されてるのだから、NHKとかもストーカー疑惑のあるクリエイターなら調べあげるとか脱税の前歴があれば干すとかするべきと思う。
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来年は運転の精度をあげようと思いつつ、テイラー・スウィフト毎日かかってる。
トローチ食べたいけどあれ食べるというのだろうか(スーッとしててちょっとメロンの
匂いがするもの)。