派生物と鍵

久し振りに(それだけを)読むとガタリの感覚、何て面白い…と思うと同時に、間主観性や私的な場所、という内的なテーマも(あるレンジや周波の帯の中を心身が潜るときに感じ取るもの、組成の問題)。夢に官僚化の不審が読み込まれていく時に拡張される独自の感覚があるというのは具体的に、何か類型を伴うのかも知れない(粕谷栄一の事も)。派生物(分裂状態)から主観が再構築されてゆく過程で、何か夢幻的になるというのは、結構リアリティのある話。 ♪
仕事場からの帰り道すがらこのあたりアンビエントの感覚とまるきり重なるなと納得がゆく(そこで無駄な構成を感覚から排除する、抽象性を高めるような方向性があるのだろうと。時間の空間面ののりとの行き来、のような。レーダーもそういうものなのだろうが…)
内的な所字(吹き付けるように書く)の問題。

単に本として読むとき、ドゥルーズが偉くてガタリはよくわからない、というような対比は決してしてないはずなのだが(本の序文にあるように)、ガタリが接していたはずの福祉(精神衛生)的観点というのはともすると無化することも副次的に扱う事も出来てしまう訳であり、それがまた特定の精神的ありかたへの抑圧を伴うと二重三重にややこしい事に(分裂病や錯乱の資質を、公明党やら宗教が決めるとなるとそれはそれでカフカ的な傷みの多い世界に生きてるような気も)。ごく生真面目に、労災課勤務により生計立ててたカフカって凄いという気になる。

4次元同位に深入りしないが…深入りしないよう深入りしないと…
時空間ののりの面、というのは好きな問題(実際どのように感じ分けているのか)

ずいぶん前にタジマ(床材の)のHPにガタリを紹介するページがあった事を思い出す。当たり前の事なのだが現代思想的に称揚されたり許容される精神病の症候と現代思想に回収できない分蔑まれる精神病みたいな話はほんとは無い筈だし、ラ・ボルドの映画を見たときもそういう事は感じなかった。差異化個別化みたいなモメントの一番いい部分はエレクトロニカみたいな高度に演算された形式の中に再現されてる気がするのだが、反対にカルトなんてそれが何処の国のものであっても専制君主機械(だったかしら)の最たるものの気がするのだが。
カフカアナキズムに親近感を覚えていたというガタリのインタビューに何となくいい話だなと思う。

またしても「糸井重里 つまらない」で検索が…
つまらない以前に、何一つ自分で発想出来ない人のように思え、実際糸井重里と仕事をするお話があったクリエイターの方に色々と伺う機会があった時に、驚く程身勝手になにもかもを糸井重里事務所側の都合のいいように解釈するので、話を断ったと聞いた。そういうものと自分の日記が字面だけでも似るのはものすごく気分悪いのだが(あとは継続的に、衛生面でおかしい人のような気がする)
発想が陳腐で何も思い浮かばないのなら人に頼み込んでコンサルティングしてもらうべきなのだろうし(つまらない猿に等しいクリエイターのコンサルティング!)、それを外注で自分が貰ったら、今までの分で優にマンションの一室位買えてるわよねと思う。
吉本隆明さんのように、思想家として発想からオーソライズまで一貫して考えるのがまともな思想家であり、つまらないつまらなくない以前に着想がない時点でクリエイターじゃない気がするのだが。
根がパチンコ屋であり生活必需品を全部万引きで賄う老人が、何故かクリエイターみたいな仕事に固執しており自分の娘位の人間から手当たり次第パクっていて、偉そうに注釈たれてるが潜在的に流通から相手にされてない、というのははっきり気持ち悪い。たまたま脳科学関連の本が売れたばかりにただの覗きに飽き足らず、訳の分からない自己啓発とか洗脳みたいなものまで使って他人の生活に全面的に介入しようとしてるとなるとどんだけ迷惑老人かと思うのだが(分煙の是非はともかく、「禁煙ファシズム」みたいな事を言ったところで養老孟司という人の意見は別に県の健康指針に関係なかったと思うし、四百万部新書を売ってもモラルハザードを起こす医者は居ると思うのだが)。それに色欲が絡むと更に気持ち悪いのだし、何かたまたま芸能人であるだけで本質は尼崎の事件の犯人と同じような気がする。
というより田代まさしが摘発出来るのだから糸井重里もそうして欲しいと伝えたのだが、本当にギャンブルの利権で留保されてるとしたらとんでもないような気がする。

予防拘禁のために精神病のレッテルを貼る、というプロセスで、それこそ統計ではないが具体的にどれくらい亡くなっているのか確認する必要がある気がする。 ♪
中井正一カフカベンヤミンはある意味ひとつところにまとまる部分があるなあと(いかがわしい話になると良くないが、思考盗聴や音声を送信する事が100%可能だとして、人間の自明性は享楽に対する耐性のなさと同じくあんまり長くそういう感覚に耐えないだろうし、発信元があるとすればやっぱり気分の悪いものの気がするのだが、それがテクニカルに可能かという以前にそういう出来事を高度に感覚的に捉えてるように思えるのは心強いところ)。