笹子トンネル

2009年の5月2日に渋滞していたのは中央自動車道
笹子トンネルの近くだった。トンネル事故恐ろしい。
こういう事故の事考えても(やっぱり無根拠に人は
亡くなるので)自殺とか考えられない気がする。
        ♪

「思考盗聴」はあるにせよその中で
免許を取って遠出もしたので尚更思うのだが、それを通じ
て政治的になり科学的になり何を解りたいのかさっぱり不
明という気がする。
(クオリア理論でノーベル賞は笑い話にしても、ただただ他人からの略取で
成金であるという事以外何も生存感覚を支えていないように
見えるのだが)。
結局起きていることすべてが宗教と神経工学の
越権でしかないのであって、テクスチュアルには色んな
書き方が出来るだろうが、ラカンの享楽と同じで生体をアテに
した現象としては底が抜け過ぎているし、単に普通に生きて
る人が下らない越権を理由に死ぬのは嫌な話の為、そのあたりを
もう少しどうにかしなければいけない気がしてみたり。
        ♪
デリダにしろドゥルーズにしろ、越権に対してテクスチュアルに
色んな書き方が出来る、殆どその一点にしか重きを置いてなかった
ように思えるのだけどもどうなのか。そしてやっぱり個物としての
芸術作品なり文学なりの事が念頭にあったのだという気がする。
       ♪
電子レンジでトースト焼けるにしてもトースターっていいのねという事をさして深い意味もなく思い、でも欲しがらない。
狂気の愛」の中のジャコメッティブルトンと違い何か妙なものを滅多に欲しがらず執着もしようとしなかったというのはいい話に思えて(スプーンにヒールつきの靴が付いたオブジェというのは謎だが)

人間は公然と越権行為に対して(書き残されたものとして)多様に生きるし政治力の行使の限界が即個人の限界みたいに考える必要もないと思うのだが(そこに一旦家に戻って疲れが取れたので、出かけて気分いい、みたいな成り行きが全く無い)そう思う間もなくて自殺に追い込まれてしまったり洗脳されてしまった人をどう償えばいいのかというのは、多分開示すべき情報として残る。単にバランスを取る事も生きていればせざるを得ないが、それさえ許されないというのはナチの侵攻とかと変わらずおぞましい気がするのだが。 ♪