お昼らしい


…W2400のキッチンが4台あるため、つくりを見ていて大変参考になる
という気に(二台はサッと見ただけにしても)。使う度ピピッとコンロ
好きに。きれいなお昼ごはん。
           ♪
複雑系については2010年の10月から言及しているが(フラクタル図形は
Macの描画ソフトで描くととても楽しい)、気象現象にどう関係あるのか
全く分からず(付け焼刃だった為)、再度本を取り出してきて眺める事に。
70年代の、それこそMac開発とニューサイエンスみたいなもの関係ある
筈よねと思う。
それにしてもこんなものを、たかがレジュメ出来る程度で科学的越権
の軸が普通の生活に持ち込まれていたら気分悪すぎるという感じに。

トネリコというのがどういうものか、思い起こしてみようとしているが上手くいかない。逆巻きに生えているところを手をかざして回りながら、葉を拾い指の間からしゅす(トーンの暗い虹色をしている)を通している、といった景色。

「1978年の春、ラングトンは自分の考えを「信仰の進化」と題する26ページの論文にまとめた。そこでラングトンが論じたのは、基本的には、生物の進化と文化の進化は同一の現象の2つの側面にすぎず、文化の「遺伝子」は信仰である、そして信仰は文化の基本的な「DNA」である言語に記録される、ということだった。今にして思えばずいぶん素朴な試みだった、とラングトンは言う。しかしこれはラングトンのいわば宣言だった」(「複雑系」)
…だからこういう前史は形式としてあるもので、この場合の信仰はキリスト教だと思うし、ティヤール・ド・シャルダンとかカトリシズムの見解とも似通っているところある気がする。このお話に出てくるアリゾナ大学が複雑系研究でも哲学でもとても大きな役割を果たしていたようなのだが(チャーマーズという方もアリゾナ大学の方のようだが)、全部焼き直すか二番煎じにし、「日本人だから仏教で」と言われたところで、何が科学的正当性を留保するのかいまいちよく分からない気がする。
それだけでなく洗脳とか同期をカルトのコード内ですると言われても、なんとなく釈然としないものが残る気がするのだ。
新興宗教の遺伝子(教祖が危篤で内部で変な事件が頻発している)と自分の遺伝的与件が合致したり優性学と性淘汰の権限がカルトの教祖にあると言われたら、気持ち悪いし失礼な事言わないで下さいよとしか言えないのだが。
茂木のような詐欺師的な人が文学にも哲学にも采配を振るう前は、複雑系Macも(当たり前だが)自由に触れる概念とその組み換えで拡散点も収束点も作れていたように思うのだが、何か訳の分からない仏教系カルトの申し合わせで色々な事が進み過ぎかと思う。何で自分が巻き込まれたのか一向にわからず、最初から異嗜食とノゾキが好きなその宗派の女性にたかれば良かったんじゃないの、という気がする。

ガナッシュのつくり方を知らなかったが分かり、大抵の事は晦渋な科学必要なしに出来るのだが、どうにか僭越な感じを取りのぞかないと(というかノゾキを自分の人生から排除しないと)凄い気分悪い。