収穫逓増

マネーゲームみたいな事と科学的正当性はあまり関係ないような気がしており、収穫逓増(要は先に儲けた人間が経済的ゲームに勝ち続ける)というのはでも、未だに成功のルールとして奉じられているんだろうなという事を(電車の広告でそんなのを見る。一瞬で何億稼ぐハウツー、みたいな)。
複雑系の研究をしていた科学者は1人ひとり陰影というかニュアンスがあって、そんな素朴に経済至上主義になってる訳でも何でもないみたいだが、九十年代おわり頃の時点で焚き付けて期待値を上げるのに羽振りのよさを誇示するとか、最初から金回りのいいものに自分を近付けるというのは、ある種の科学者の方が臆面もなくしやすかったのだろうと思う(別に儲ける事自体がいけないと思った事は一度もないのだが)。ただオリジナルの思想なり科学的知見が結びついてた動機とか、与件とあまりにも離れてしまってるのなら意味がない気がするのだが。 ♪
あくまでも臆面のない収穫逓増の虜であるところの数名の科学(あるいは医学)従事者という事を考える。収穫を増やす為ノーベル賞を狙い、その為には悪い事に人体実験も辞さないといったジャンルの人間が、全く自分の私生活と関係なければ、いかがわしい書き割りのような男、で済むものの、一回り半以上年齢の離れた自分が監視され収穫を逓増させる為に経済的な苦境を強いられるというような事があった場合、やっぱりそういう人物の常識感覚の欠落と、とりたて科学らしく思えないという事は指摘すべきなのかと思う。以前書いた在日韓国人の男性の人権意識の歪みとも関係あるかも知れず、そんなもの科学全般だけでなく文学ともアートともまるで無縁のような気がする。外部から経済状況と性差を脅迫的に強調してコントロールしようとする手口そのものが、異常者や倒錯者の常套と認識する。

行政法規が一番とりかかりやすい為、鑑定士のその部分から。複雑系で意欲が切れないのにとても機嫌が良くなる。

糸井重里の自己イメージはやっぱりゴキブリなのか、業界人のパーティーでゴキブリの格好をして最初キャーキャー言われていたが次第に嫌がられる人、とか、そういう話自体がとてもうざい。田舎臭い、と思う。ゴキブリの相手を出来るのもただのメスゴキブリという気がする。人間と下品なメスゴキブリと価値が等価というのもおかしい話のため、ノゾキも含めてまともに規制して欲しいのだが。樋口可南子の整形もそうなのだが、とかくドロドロの気持ち悪さに対する抵抗感がものすごい。中井を読んでた10年前の意識状態の抜けの良さを思い返す(反復するというか)。そのうち尾道を旅行したい。