静力学平衡の式

やはり当然かも知れないけれど、読んでいくと内実をしっかり解りたくなるものだなぁと思う。

大体「他者の思考の解析」というスタンス自体がおかしい、という気がするのは私だけなのかというか、宗派も文化的次元での差異も容易に一元化出来ないので他者だの差異だのという概念があるのじゃないかという気になる。

分裂病(統合失調症)的な精神状態を作り出す為にすればよい事といえばシンプルにある主体が主観を自己所有出来ないように仕向ければよく、その発症経路には遺伝的要素と環境的要素がある、というのがとても一般的な説明のように思えるが、自分が他人の分裂病の環境的要素になるような振る舞いをしたことがあるかといえばそんな事は未だにガタリドゥルーズを偉いと思っている以上あり得ない。そういう発想(環境的に主観を定立しにくくし、自殺に追い込むか精神病扱いする)という発想自体北朝鮮みたいじゃないかというような事を思う。

ナショナリスムとまた別の問題として、何か北朝鮮的なものと日本は同一視されないようにした方が良いように思えて仕方ないのだが。