横に連結出来る花瓶だが、上から見ると子供が頭に一輪ずつ花を貰える印象の花瓶がいいということを再度。

手元にあるハウライト(ではない、何か青いもの)のビーズを何かに使おうと思いつついつも使い道が見つからない。
座面がペーパーコードで張られている椅子の質感の素敵さと、ベンチのようなものはないので張れる広さに限界があるのだろうなという事を。シェイカーのベンチには布テープ張りがあってとても美しい。

児童文学なら食べてける気がして書きためた童話があり、ここ10年全く思い返す余裕もなかった事を改めて何となく思い出す(地震止めの鯰を入れる広口瓶の話など。これはその中の五枚だけを鯰の里児童文学賞というものに送り、参加賞の鯰下敷のみを貰った)。
竹橋の美術館の常設展の凄くバランスのいい感じを思い返し、どうしょもない超常現象みたいなものより日本の前衛のアーカイヴ化の方がよっぽど大事なため、ヘイトスピーチとかいう高等なものでなく、単に意味不明に私的領域に踏み込む成金が大嫌いなんだよねと思う。
愕然としてしまったのは、新興宗教にコミットして四億脱税する人間の盗癖と、まあ酔っぱらいなんだろうけど基本的に独自の映像表現の追求という事をしていた立場で物凄いアーティフィシャルな貧富の差が割り当てられてる事で、その割り当てにちょっとでも心身の攻撃とか人体実験が絡むならどのみち略取でしょうよという事を思う。サッカー選手にレーザー光線を当てる妨害というものがある事を知り、なんか、そういった悪意の塊みたいな行為は妄想でなく存在するのなら、一から十まで全て妄想だと思い込む必要なんて全くないように感じる。自分が不機嫌になるのもイヤだが、それ以上に他人の不審死の遠因にカルトの帳尻合わせがある事に許せんなという気分になる(欽ちゃんファミリーというのをどうでもよいが、表向き介護疲れの自殺にさせられてる方がその実嫌がらせされていたというのは信憑性あるように思え、普通に最悪だという気分になる)。
とはいえ心を無にして、国立新美術館に行ってみる事に。ベーコンももう一度位見たいような気がする。