ダロワイヨに魚のチョコレートが売っており何となくかわいい感じ(魚の中が空洞になっており貝とかエビとかタコのチョコレートが入っている)

(数年何処かで)大真面目に内面に課金出来るシステムを作りたい、と思う位精神的搾取の憂き目にあった記録を(おちおち美しい心掛けでもいられないような)、いつかしっかり明細で表示したい気もするのだが、やっぱり理不尽なのは広告業界の盗用とか一部の下らない老人クリエイターの言動なんだというような事を思う。
Nさんは前衛映画の批評という事がしても報われにくく極めて散逸しやすいものだと言っており、確かに小劇団にいた友人もそれで食べていけてるか全く不明なのだが、茂木にしろ糸井重里にしろ下らないものが居座り続けられるシステムがおかしいのではないか、と思う(四億脱税の時点で経済犯としてちゃんと取り調べして収監すべきだったし、第一まともな医療従事者や普通の科学者と引き比べてどうしょもなさすぎる気がするのだが)。発想がないのならクリエイターなぞ降りればいいのだし、他人の生活に張りつく権限などまるでない訳で、Nさんのお子さんもそうだがそのせいで成人前の人が多大な被害を受けているのだが。
六十代の昔新人類だった人なんて確実に今の二三十代にはどうでもよい存在であり、空回りしてコミュニケーションを求めるのなら存在するだけでお金払って下さいよと言われても仕方ないかと思う。(ヘイトスピーチ以前に、醜悪なので嫌いだものという観点が完全に欠落している気がする。ださくて使い勝手の極めて悪そうな手帳とか、牙むいてる下品な熊のぬいぐるみとか)。

被災地に市場意識を持てという以前に、なんでストレートに億単位の巨額の寄付が出来ないのかと思う。
糸井重里本人は年収七百万とかその程度あればよく(六十代で単身者だったり子供もおらず、年収数百万程度でも他人に迷惑掛けない人なんて沢山居るだろうから)、あと残りの印税等全部復興支援に回させてもいいのでは、と思う位、盗用しかしていない重篤人格障害の猿に思える。
ある時期に宮崎勤の事件に対する訓戒のように、そういう事件の大元になった日本的ポストモダン(の差異に対する意識)はどうしょもないものだという論旨があった。その後オウムみたいな事が起きたので日本的ポストモダンの自我欠落の補完を変なカルトが遂行してしまうような事態もやっぱりおかしいのだろうという論調もあるにはあった。が、カルトに資産と人を追い込める技術があれば、そこに糸井みたいな恥ずかし気ない老人クリエイターが取り入って、何か8、90年代のどうでもよいようなちまちました話を繰り返し、溜飲が下がらないと若い人間が覗きや洗脳の被害に遭うとなると理不尽過ぎるのだが。第一今もう80年代じゃないので、その頃のクリエイターがどうとか私達が知るわけないじゃないのと思う。
…ファイナンシャル・プランニングみたいな事にどれ程の意義があるか解らないが、80年代のクリエイター(ヘタウマとかの)が消費を強制する場合、それは逆に要らないものの(広告代理店が絡んだ)承認欲動の表れなんで、全員からお金とって復興支援金に引き当てたらどうか。
…シンプルさが基底にありあとプラスαでどうとか、いう考え方に信憑性があるのを直感してれば無茶苦茶になる(完璧に)という事も無いため、ほんとどうでもいい糸井重里、ほとんど公害かと思う。