早く

完全に暖かくならないかしら〜と思いながらコーナーショップを聴く。コーナーショップを聴きながらベンヤミンを読む。

憎悪犯罪に人を巻き込みつつ口封じするのとヘイトスピーチ反対とか言うのと違うと思うのだが、何かもっと直截な、ただの傷みきったご都合主義を感じるのだが私がやっぱりどうかしてるのだろうか。伊丹十三の不審死もひどい憎悪犯罪のせいに思えるのだが。
そういう頃から業界人だった人間の放言に、殆ど前向きな関心がもてない。

「プラグマティスム」を読みおわり「宗教的体験の諸相」読みたいなと思いつつ、すごいはっきり「仏教に反省的意識がない」と捉えられてるなと思う。

テレンス・トレント・ダービー、、、改名してても別に全然仏教徒でも何でもないんだなというのにおののきつつ、心身へエネルギーの巡りが悪かったのが、伊丹十三憎悪犯罪の被害者なんだろうと書いた後から急に調子悪くない感じに(そういう現象の方がよっぽど「狂ってる」気がするのだが。情報を抑制したり制御する上で、全部パラメトリカルに扱う立場というものがあって対峙を強いられるとしたら、もともと器質的にその傾向がない人間でもエネルギーをロスしやすくなる気がする。結果として分裂病に似た生存様式になるという事はあり得るだろうが、何だかいつもいまいち言い切れない事に苛立ちを感じる)。噂の真相という雑誌で伊丹十三の事件が取り上げられた時の事を漠然と思い出す。
何か暗部に触れた人の諜殺だったのかどうだか知らないのだが、その後その人の名前を冠した賞を身内褒め的に贈りあってる糸井にしろ、内田樹先生にしろ、やっぱりどうでもいい感じの創価学会シンパという気がして迷惑なのだ。

憎悪犯罪の死者をまず全員追悼してから話が進むのなら解るが、そうでないのならヘイトスピーチの禁止というのも只の口封じに過ぎず、真相究明もまるで許されないなら実質北朝鮮のようなファシスト国家に過ぎないと思いつつ、いつものようにベンヤミンを読んでいて(「ボードレール第二帝政期のパリ」を)つくづく単に街中で起こり得る事が描写されている、肌理の確かさに驚く。予見がある時勢から持ち越される事の確かさ。