独立した精神状態

仕事のためパソコンの新規購入を検討する。

単純に存在する事自体リファレンスであるし、まず統合失調症にその参照が(時間性と空間性に渡って)うまく成り立たなくなるという印象がある。ここで更に参照を重ねると、そういう時空間のラディカルな崩壊や変容みたいなものが曖昧に意識の集合性や協同性みたいな言葉だけでごまかされなかったことが(あと当然の事のようだが、まともな達成点を持つ芸術なり思想の固有名の羅列に終わらなかった事が)、各々の芸術的営為のオーソドックスに凄いところでもあった、という事をぼんやりと(その個人の実存的な一回性がまずあって、それを起点のリファレンスなので、なんか中身の詰まってない蟹の殻みたいな空疎な印象にならない)
この空疎さに居直ろうとする事のダウナーな酷さしか、ある種の現代思想から感じとらない。他人の達成点の引用の束が詐欺とかギャンブルの実入りに依存して漠然と存在しているようなものを、あんまり市場化すべきではないのではないか、というような事を思う(これは注意深くセッティングしてから言明しないといけないと思うのだが、そもそも私の発想なんだから私が原稿料なり所有の権限を持たなきゃおかしいでしょうよ、という件が幾つも。現代思想もともとダウナーで淀んだ印象があるが、そういったあんまり発展性のない感じを許容してるものが何が考えると慄然とする)。 ♪
歩きつつ手を握ったり開いたりしながら、ペンテコステはマイナーだけどなんか楽しそうでいいなと思う(教会に祝福を受けて様々な事を言った、みたいな比較的有名な聖書の一節が飾ってある)

中井とベンヤミンについての最初の発想は、10年前確実に内在していたが、それが外部構成(も)持つとしたらどのような形なのか。