夜はやさしを

読んでみるべきだなと思いあらすじを見るがそれだけでダメだなこういう話、となってしまい、購入はしない。くだらない比較なのだがほのぼの世界を見渡してる時の感覚と比べると、派手な世界
で高止まりが維持できず、本当だったら高止まりを維持できる筈
がそうでなかったので分裂病になった人の自業自得のお話にしか
思えず、でもこういう事は結構色々な世界で起こっていそうで息苦しい気しかしない。フィッツジェラルドの小説だとその過程が当然フィッツジェラルドとその周辺のことなので気分悪くなるという事も無いのだが。
高止まりだと思ってる立場からするとそういうコミュニケーション(金銭でどうにかなる心情の誇示)に無関心な態度を取られると自我崩壊してしまうので、他人の生活を侵犯したり女性をネタに婉曲なコミュニケーションを取ったりするんだろうが、(その状態で付きまとい行為を繰り返したり)、そこで人自殺させてアドバンテージを得てるのなら尼崎の事件と何が違うのという気になる。そしてそういうぎゃあぎゃあしたタイプの成金が薄々不審がられたり気持ち悪がられているというのが現状なのではないかと思うのだが。
実際例えば「必ずノーベル賞を取る」というイメージだけを仮構してそれが欺瞞だったとして、本来文学に言及するならその(多分に滑稽な)崩壊感覚をもうちょっと自覚的に引き受けるべきだと思うのだが、崩壊
キャラのまま際限なく他人に迷惑を掛ける、その過程でカルトに
入信してしまうというのが先にどうしょもない話だけ持ちかけて
いくタイプの人の手口なのだという気がする。その上で何
人のこと巻き込もうとしてるのこいつというか、ひたすら気持ち
悪いのだが。
その迷惑行為に、本当に人の生体を損ねるようなことがあるなら
さっさと内実を解明して全部公示すべきかと思う。

どっと疲れるというか嫌な気分になるのは、当たり前だけど(喩えとして)年収20億の人間が全員年収200万円以下の人間に対して人体実験まがいのオペレーションを発動してたら、単に法規などで
一線引いてた部分が全部めちゃくちゃになると思うのだが、そこ
らへんについてかっちりしたオカルト抜きの言葉で説明出来ない
事という気がする。