スティーヴ エリクソン(外部参照項目なしに記載)

もう一度読んでみたいかも知れないと思いつつ、所用で
東京駅に出た際駅の本屋に並んでいる本のラインナップを
見て、流石に(書籍バブルがどうとか言われていた時と
比べて)かなり状況が変わっているのかも、と思う。
というのも思っている程ヘンな感じのアーティフィシャルな
ベストセラーが置かれていなかったし、何か自分が本屋だと
思っているまともな中景としての本屋が戻ってきていた為、
人心地つくような気になる。にしてもエリクソン文庫で出て
いないのねというような事を思う。置いてなくてもベンヤミン
探してしまう。

とても無機的なゲート(というより、単に何かの組んでいない
金属質、くり抜いた金属板のようなもの)を幾つか潜る、しかも何となく身体より上の方に構えられたそれを上向きに潜る場合と、右方向に見ながら潜る場合とある、という感覚の中で目が覚める。
何故か一方向にのみ進む


フィッツジェラルドそれでも尾籠な感じがしないが、というか
ひたすらにそういう気持ち悪さがあるのはカルトのみなのだが、
私はやっぱり信者から絞った80代の教祖が生きてるか死んで
るか解らず、そんな状態でも地位と女性の庇護に固執するという
のに奇矯でグロなものしか感じない。心底気持ち悪い、と思う。
下世話も世話のうちみたいな心得に嫌悪感ものすごい。
仏教系カルトのほぼ特徴として男性信者は下品でその周辺で
ほんと下世話専みたいな女性が無駄に献身してるのだが、
こっちまで同じ働きを期待されても絶対無理だし(汚物
過ぎる)、汚物受け止める立場の癖に同性に逆ギレする事も
あるのがつくづく筋違いに思う。その場に卒倒しそうな程の
気持ち悪さ。電車の吊り広告で見ていてもそのカルトの広告だけ
何かおかしい感じに古色蒼然としてるように思える。
摂理の集会に参加する女性というのがいたら何かおかしい感じを
覚えずにいられないのだが、なぜ広告代理店だの大義名分が
絡むと内実は全く同じなのにキワモノ扱いしにくいのか。
男女ともに根底にばい菌が居そうな感じにしか思えない。
フリーメイソンは海外の話だしテクノ聴いてるとデフォルトの為
別に色々考える必要もないし、第一バタ臭いのであんまり理解
出来ずに終わるだけという気がするが(キリスト教圏の話という
点ではまだマシなのだが)、仏教系カルトは気持ち悪い上に
俗っぽい感情に働きかけるから大きな障壁に感じるのだという
気がする。とりあえずカルト絡みで下世話にあたる汚物女性と
自分を画然と分けるところから始めようと決意。オウムとどう
違うのかという気がするのだが。
松本智津夫という人を擁護してたのはやっぱり気味悪い人たち
で、ただ気味わるさグロさの解明が全く進まなかったという事
の欺瞞に耐えきれない。