自明性について淡々と考えながら。盗用癖の問題も
そうなのだが、最初からあんまり欠損した領域を
志向してなさそうに思う、という一点。

運転しながら、
大体晩年管理社会について書いてるドゥルーズが、脳だの
意識を外部から即物的に変えたり解析する事に意味を見出す
はずもないというような事を(ロズウェル事件みたいなものの曖昧な外形と同じく、そういう事に意味を見出す事自体は色々同定しにくい形で起こり得るがやっぱりバカバカしい)。そういう即物性の作用点
全然ドゥルーズなんか読まない市民社会だったとして、たんに
病んでる人間への固執の方便としてドゥルーズがつかわれてたり
それが経済的には(仏教系)カルトに依拠せずにいられないとしたら、
単にドゥルーズの読み方における倒錯に過ぎないというような事を。

駅の本屋でグレート ギャツビーを購入しちょこちょこ読みながら、
映画やっぱり見ておこうという気に(村上春樹訳でなく朗々と大時代的なのだが)