病跡学

病跡学 卒業論文テーマで検索している人が居るのだが、お金くれれば
代筆してもいいです(地味にドゥルーズが卒論で時空間の
処理が日本文学と全く違って構築的だった作家は何を考えてたのか、ということを淡々考えてたため、どうしょもない80年代の
残党みたいなものに盗用される憂き目にあってなければ、結構ボリュームのあることをこの分野で書けると思う。というより何で
ここまで盗用で単著出してるのかほんと不思議という人がおり、
現代思想業界終わってるなと思うのだが)。
病跡学研究というかわりと決まり切ったスケールがあって川端康成三島由紀夫太宰治が論じられるのが定番なのだが、ほんとは日本文学では安部公房が一番分裂病的なのだと思う。病跡学は分裂病統合失調症)のみを取り扱うわけではないのだが、あの具体性を欠いた感覚変容にどこまでも飲み込まれてしまって、その事に特に説明できるような(人間が居るような)質感があんまりないというのは、ある種の作家は書くけどそうでない作家は衒いとしてしか
書かない。しかも衒っても本来意味がないように思う。

媒介物や超越性がどう病んで同時にある種の方向を指し示すのか、
ということをフロイトの昔から延々考えてきたのだろうが、新興宗教が怖くて不可解なのは明らかにそういうスケールから見て確実に病んで逸脱しているにも関わらず、そのことにどこまで自覚的か推し量りにくい事のような気がする。その状態で人を感化しようと
いうのだから、本当なら新興宗教が病理のもとの病跡学研究が
好事でなくあったほうがいいと思うのだが。(加筆させてもらえるのならばビュヒナーの「ヴォイツェク」について)

とか思いつつ、仕事しつつ、ったく何なんだと言うかとにかく穏当さとか個人の当たり前の自律(この二つは、変な媒介が介入しない限り矛盾しない)をないがしろにするような詐欺師に寛容すぎるのはおかしいのじゃないかということを思う。

華麗なるギャツビーが微妙に楽しみ。