今更のように

数年前に携わった物件の事を思い出す。
それは別に電波ハウスでも、VOWネタでもトマソンでも
なく普通のしっかりした建物だったのだが、何故かそこに(ヴィレッジ ヴァンガードなどで売ってるので仕方ないが)見え透いた文化的射幸心というか80年代的な心情が作用するとそういう建物扱い
されてしまう事の、生々しい恐ろしさを感じていた。家主の方は
困ってただろうと思うのだが。別にお家はイデオロギー闘争の場
とか思考実験の器ではないので(ウィトゲンシュタインのように
ほんとのブルジョワでなおかつほんとの哲学者だったら思考の結果を建築に反映させるとか色々言えるかもしれないが)、住むとこと
して平穏で品があってプライバシーが守られており、気分良ければそれが一番大事と思うのだが、電波ハウスの観察みたいな事をしたいといきなりそういう動機から吊るし上げみたいな暴挙に出る人どもが居る事がわかり、仰天した。中途半端な田舎(要は土地柄みたいなものとか場所に纏わる心象風景とか皆無のところ)から都心部に出てきて、成人してずいぶん時間が経ってるのに、単に文化的に貧相だからといってそういう悪趣味な事をする人の神経を疑う。同様に人を自殺に追い込んだがいい人、みたいななんかいかにもサブカル好きしそうなノリのために自殺する人なんている訳がないじゃないのと思うのだが(四の五の粉飾されてはいるが、おそらくそういう嗜癖に科学的に溜飲の下がる説明はなく、にも関わらずまともな科学研究に挫折した人に漠然と80年代の業界人みたいな立場を割り振るために変な脳科学の学説がでっち上げられていたらどうしようかと思うのだが)。
ただ未だに80年代っぽい文章を書いているライターとかはそういう
根本的な違和感が理解出来ないか、無理にそういうものを強請しないと存在意義がなくなってしまうのだろうが、余計になんでそんな状態で存在してるんだと思ってしまう。しかも仏教系カルトのテロの時から煽ってきた立場で、一回も反省せず欺瞞に他人を巻き込み続けては前張りみたいに偽善的な行動をとったり、逆に単純な人の善意に逆ギレしたりするんだろうか。
ひたっすら気持ちの悪いじじいという気しかしない。そしてそういうじじいを許容してるのも変な女ばっかりの気がしているのだが。