あこれダメ

暑いと特に、どうでもいい中年以降の男の、良識的な振る舞いが嫌いであることの強調みたいなものに物凄い苦手さを感じてあこれ気分悪いと思う。うざい。そしてほんっっとにある種の何の土地の雰囲気もない田舎って無闇にそういう話を他人に強いる。しかもそれで私生活をホールドするとかまともと思えない。それを許容する事で寛容というか水商売くさい懐の深さを示そうとする中年女性もダメ。そういうのが文化生産に携わっているのを正気の沙汰と思えないのだが、新興宗教は宗派あげてそうであり、よく発狂しないよねと思う。というよりその中での発狂を転嫁されても自分が狂ったと思える訳ないじゃないのと思うのだが。つくづく気持ち悪というか卑小な成金の教祖が老齢で悪意に塗れており、そこから金銭を充当した出来合いの識者が単にクダまいてるというのをどうにかする必要があると思う。特にそれだけ構図が見え透いてるのに洗脳されようない気しかしないのだが。

宗教上の症候群に過ぎないものと個人の個別性は相入れないし、
人工的に症候群をお仕着せたり呪う、というのも滑稽な気しかしない。(特に呪いというのは別に価値観として超越化出来ない、滑稽なので。にもかかわらず迷惑を掛けたおそうとするのが意味不明)
カイヨワを大体読む。モダンで宗教的含蓄も感じられるのだがとにかくそういう部分がカルトでは大幅に欠損してて、要はモダンでなく宗教的含蓄が皆無なのに驚いてるのだ。(なぜ宗教として存在
しようとするのか)


神経から無駄にかかった疲労が取れたらオーソドックスに病跡学と宗教について書き残しとこうとおもう。何か現代思想で成り上がろうという根性はさもしく、わかり辛い上に孤独でさえなく、史実と
結びついてる幸福感も希薄で、牽制しながら他人の感覚に対する配慮を完璧に排除する(精神病の特性だ)、ということに戦慄した。