そんな話

地味にイアン・マキューアンが好きなため、次は「ソーラー」を
読もうと決める。
もとアカデミックな研究職の方を数人ニューアカの残党のようなものが吊るし上げているという景色はつくづくどうかしていたし、そういう下らない事が起こり得るのだという事に対して、そこだけ抑えておけば社会的な立て直しなんて容易なのだというポイントが欠損しすぎてる気がする。というより、普通に80年代の残党みたいな人たちを排除してしまうべきだと思うのだが。
問題は精神世界だの宗教だのである以上に新興宗教の財源とのコンフリクトであって、それは恐らくしっかり言葉にしなければいけないのだが(建前でも信教の自由があるのは薄っぺらい事ではない気がするため)、論壇なり文学なりがひたすら新興宗教に対してやましいのだという気がする。仏教系カルトのせいで日本文学の殆どが、これ何なんだという位意味不明になっている気がするのだが。

アシアナ航空の事故の背景に韓国文化というのは別に差別じゃなく、なんか客観的にそうなのだろうが、宗教システムについても韓国由来のものは何かおかしいので呪ったの呪わないのという話になるのじゃないか。そういうことを書き散らす奴が女子大の教員をしてることの異常さ下衆さ、、、みたいな事をひたひた思うにつけ、とにかくある程度は金銭的に持ち出した分謝罪して返還させるのも大事なような気がする。パクリ癖もそうなのだがやっぱりおかしいのはおかしい方だという認識は持つべきに思うのだが。

連絡を取りづらい自分のもともとの友人に比べると、何だか未だに
昭和っぽい話に迎合させられてる意味不明の道場門下生みたいなものが、エロコンパ出身者とかより下衆でブサイクな存在に思える。
事実外見でいうとブサか生臭いオバで周囲を固めてる仏文学者につきまとわれるのは迷惑だし、第一印象であんまりマイナス評価を
外見につけられることもなかったのに、ストレスがかかるのもすごく理不尽な気がする。
自分が問題にしている人たち全員、韓国だの北朝鮮だのと関わり
あるじゃないという気に。そういうものを経由せずさらっと本読みたいような時、いつまでもストーカーしてくるのは単にそいつらが病んでいるからに思う。