地質

霧とか靄がスッと流れるようなポイントについて幾つか。景色に
心理的障壁になるようなものが一つもない。

地盤改良で具体的に何をしているのかという不明点。住めるところにするという点に関心があるのだが。

高橋たか子さんの小説について考え込むと同時に(女性の単独者でキリスト者という在り方に、こだわりを感じるのと同時に恐怖感があったというような事で、ただそれはとても内在的な事のように思う)、ぼんやりと粕谷栄一の詩の事を考える。何と無くそういうものを言語表現として信頼していた。
読みたいなと思っても高橋たか子さんすんなりと新刊本屋で買えない気がするが、鰻を食べる際に見ることを決める。

毎年の事ながら土用は避ける;立ち寄ったお店で鰻革のひどいカラフルで小さな小銭入れを見かける。ひどいけど素敵。高橋たか子さんのせめてキリスト教関連の書籍がないかと思うが、駅の本屋では’探せない。


じぶんの名前を人形についての診断メーカーにかけてみると『宝石箱に置かれたお人形。紫陽花色の瞳に紺色の髪をしています。賢い性格で、雪のように白い肌が特徴です。主人は少女です。
とでて、ああこれ私私、特に雪のように白い肌で少女というのは怖いぐらい当たってるし、と思うのだが、繊細そうなのでほおっておくのが良い気がする。なに人形か全く不明。呪いの言われすぎ人形か。、、、アイドルじゃないから60代のおっさんと付き合うのは嫌だし、、、衣装たりないし、、というかアイドルきったない。純粋に職歴だけで言えば私は東京ガスの料理教室で仕事とか出来るはず
なのだが、アイドルというかゴミ女は色物限定で性癖のおかしい男にかわれてた汚物っぽいコンプレクスの塊で整形中毒いうだけで世間的に嫌がられると思う。同様に私がアップデートしてる食べ物の写真は綺麗でクリアランスとれてるが、気持ち悪い男女は食べ物に対してもなにいれてるか意味不明よという事を書いておく。
仕事しつつオーソドックスに業務提携(だけ)したいよという微弱電波前頭葉から発してみる。
また、仕事しつつ、どれだけロラン・バルト好きなのというか表徴の帝国が好きであり、オカルトではない変な嘘くささに満ちているけどあの本は本当に気に入っていた。照明器具とか見てると思い出してしまい、逆さにしても変わらない日本の家という発想が自分を生き生きさせた事を思い出す。

ポストモダンとか一切関係なく中井とベンヤミン、情報と諜報組織の外在性みたいな事に興味があり、それはずっとエコーみたいにあるのだがどうしたら釈然とするのやら、まず生体にかかる純粋にテクニカルな出来事ならそれらしく書くべきなのでは、という気がする。

団塊の世代の絶望的な気持ち悪さとはまた別かもしれないがセフォラが開店した時に買い物をするのがかなり好きだったため、なんかどんよりした雑貨を60過ぎのどうでもいいクリエイターから無理押しされたり怪しい韓国よりのフランス現代思想とか、何もかもがどうかしているように思う。異常に垢抜けない事にたいする苦痛というのはもっとちゃんと言葉にするべきに思うのだが。

パラダイムシフトとかそういう大仰なことでなく、単に必要に迫られてする問題系の切り替えに対する寛容でなさが異常だと思う。
犬けしかけて自殺に追い込むのも筋違いだし、人間は昆虫じゃないので基本科学的実験のパーツとして存在していない。純粋に記憶の
仕事をする場合に具体物というのはまず、自分の記憶のなかの具体物で、宗教団体との骨がらみや膠着と一切関係ない。