そこはかとなく

ゆったりした気分になりつつ帰路に。すっかり秋。
情報の屑に過ぎないものが膨大にやり取りされていて
その一角を最もらしく操作するといったような感覚が
全く理解出来ない。そんなことやり過ごすのは別に
感覚とも情報工学ともクリエイティビティとも遠いのだろうが、
そこに留めおきたいというのは何かの勝手な言い分で、
実は陰謀論にも届かないんじゃないかという事を。

怪しいと言われがちな画廊商法のようなものの何百倍も
怪しくて尚且つ雑な、ファインアートと言われてる領域
の居直りみたいなものの事を思う。具体的な事はよく
知らないけど美術館に作品をねじ込むような。
純粋に気持ち悪い、という気がし、何が気持ちわるいかと
言ってやっぱり強権発動のような事が耐えきれない。
そういう行動に伴う心理的な障害の気配と普通の生活感情って
きれいに切れてるように思う。

季節柄なんだろうと思うが岸田劉生の絵はみんな人相がいいなとぼんやり思いながら見ており、青空文庫で読んでも凄い気分いい気がする。合理的で。
憑依とか病理を滑稽じゃなく最初から意味の通るように説明するとこう書かざるを得ないのだろうなと思う。のと同時に、宗教儀礼で底が抜けて他人をアビューズして表情に出てるタイプの気持ち悪さは、やっぱりごく単純な人相の個別性と分けて考えてよいように
思う。そういうものを目にすると心底ゾクッとするしそんな人が
そうそう沢山いる気もしないが、徒党組んで他人をスポイルし切る
表情だの覗きのヘラヘラした表情は気持ちが悪い。アートだの文学だの科学だの関係なく単に凄い気持ち悪いのだと思うのだがどうなのか。