見れば見るほど

アイスバインは簡単なレシピでよいなと思い、そのまま今年のクリスマスのレシピが決まってしまう。と同時に毎年作っている牡蠣のオイル煮だが1ヶ月も日持ちするなんて知らなかったので多めに牡蠣買おうと思う。

ベイトソンメタローグだったか娘に父親が情報とエントロピーの増大みたいな事を対話形式で教えるものがあり、それは素朴に親子関係の話じゃなく情報として分析可能なものと単なる会話のレイヤの二重性みたいなものについての言及なのだが、それで娘さんがやっぱり文化人類学者というのはちょっといい話に思う。
そうじゃなく娘は前張り嫁も前張り本人は横柄で他人の盗用、フォローしてるのは八十年代の話で何か時代遅れの上にヘンで癇に障る上に人のスポイルに血道をあげる、医療技術だけは悪用したい、となるとやっぱり科学にしろ哲学にしろ文学にしろ関わる必要ないのではという気に。
パクりながら自分の居る自治体に現れて欲しくないしやっぱり仏教系カルトのせいで論理構造も心理的なものの広がりも異様に下らな、焼直しみたいなものになってる気がする。

中井浩もそうなのだがこのコミュニケーションと内在する構造をどうこうという事を考えようとすると何となく対ヒトとの関係性全部が不審で現実感の希薄な感じになるなと思う(考えてみれば現象学的還元と同じなので当然なのだが)