魔除け

bobbinsmall2013-10-23

として簡素でいいデザインと思う。鳥がとまったから鳥居というとの事だけどしっかりしてきれい。塗りのない三重塔の良さに見とれる。
心身スッとする気持ちの良さ。


フロイトは、オカルティスムを観察するに当たって、副次的な仕方でコミュニケイションの現象に遭遇したが、この現象は実は、基準をなす現象であって、フロイトユングの論争の火種となった世襲的遺伝の諸問題を後方に退かしめることになるものなのだ」。
「人間の深層には《それ》〔エス〕が存在する。つまり、種々の分裂細胞、分裂分子、それら分裂分子の連鎖や隠語が存在する。ここには分裂症の全生物学があるのだ。分子生物学はそれ自体、分裂症的なのである。(この点、ミクロ物理学と同様)ところが、逆に、分裂症の方はといえば、分裂症理論の方も、生物学的であり、生物文化的なのである。すなわち、この分裂症理論が、分子秩序の機械的な種々の接続や、これらの接続の再分配(つまり器官なき身体という巨大分子上の強度地図の中への、これらの接続の再配分)や種々の大集合を形成し選択する統計学的な集積を考察するものである限りにおいて、そうなのである」(アンチ・オイディプス「第四章 分裂者分析への道」)
こうして眺めるとドゥルーズなりドゥルーズ=ガタリはしっかり個々の領域の相補とか分子生物学のモチベーション自体が分裂症的とか納得のいく事を書いてて、この際器官なき身体はともかく、そういう定義は的確のように思うのだが、社会態の中でそのような事が全く言及されずある審級の言い値で症候群がお仕着せられるというのはどんな事態なのかなと思う。

1個人を「占う」「精神分析する」「遺伝子解析の対象にする」ことのそれぞれに固有の迷惑さがつきまとうし、どれもまともな人権感覚を踏み越えてないと(超越的に)しようと思わない気がしており、そんな事しなくても成り立ってる領域を圧迫する。

分子生物学自体が分裂症的なので変な分子生物学に関わりたくない、というのは比較的まともな感覚のようにも思うし、やっぱりドゥルーズ=ガタリドゥルーズがそういうものの進歩のタイムラインに従ってカルトが心身管理しやすくなる世界を称揚するとも思えない。(仏教系カルトの教祖はオイディプスなんかより最悪なものに思う)

陰謀とか全く関係なく重大な信義違反を越権で行う側を監視するというのは、考え方としてまともという気に。
それはともかく 自分で煮た生姜の赤ワイン煮が結構美味しくて上機嫌
林檎をやはり何らかのかたちで煮ようと思うのだが、段々恬淡とした味覚に変わってく部分もないと嘘だなぁと思い、辛いものにしか反応しないとか、弱さと優しさの区別がつかない(ので攻撃する)というのはなんか、やっぱり感覚の濃淡に特異な部分があるような気も。ナショナリスムとは関係ないのだが和食の文化遺産認定というのはいい話と思う。

だから陰謀論でもなく話がおかしいと思うのはユネスコ的には健康によい日本食は認めるに値するもので、あと普通に存在を許されて然るべきものが沢山あるはずなのにキレて強迫的な行動を取るカルトの方が大事という事は無いように思うのだがどうなのか。