少し

例えば「量子論コペンハーゲン解釈キルケゴールが関係している」という点を自分なりに納得のいく感覚で咀嚼するのは、そんなに簡単な事ではないように思う。キルケゴールキリスト教実存主義的な感覚があまりポピュラーじゃなく、十数年前に晴天の霹靂のようにそういう考え方があって、表出に伴うてらいと根本的に違う何かなんだと感じたというのが(このあたりの感覚はカフカを読んだ時の感じにも似てる)、じゃあいざ量子論として知られてる分野にどう関係してるのか。第一量子論自体他人に説明出来る程分かるという事がなくて、理系のそれなりに鍛練を積んでる人じゃないと、定理を抽象物としてでなく現実的な例をあげて説明する事は出来ないように思う。
要はエネルギーなり量子論で取り扱うようなレイヤがバラバラなものと質量だけでなくちゃんと意味ある状態になるのは、神があってその愛のようなものは無限性として放射されてるからのような事なんだが、キリスト教の国ではないので身体的な実感とそういう考え方自体が内在的に結びつくのに時間がかかる。
が、それをわからずに即物的に、量子論新興宗教の結びつきが科学的達成とか直感を超えてなにかわかるという事はないのだろうという気になる。でも新興宗教は早急にわかりたく、その時無理のある設定がごく単純な心理的内包物を全部無化すると他害になる。

急進的なカルトの洗脳のプロセスが外から分かれば、それを自分やその団体絶対無理な人の精神状態と重ねあわせずに済む気がするが、そもそも宗教に乗じて他人を害する事に血道をあげる姿勢自体完璧意味不明だなという気がする。そしてWikipediaセクト規制法の項目にある特徴のなか、私財に手を付けたり心身を不安定化するというのは、どこからどう見てもカルトなのと、セクト認定に対してもその仏教系カルトは大ボラを吹いてた点、気持ち悪すぎる。中世のドグマでがんじがらめな宗教的環境より酷い。
かたや薔薇の名前エーコ薔薇の名前以上の意味はない)みたいな世界もあり、外部にはそういう信仰体系もあり得るというのをどう考えるのかというか、即物的な洗脳と心身を害した時点で一律どうかすべきに思う。

精神症状に対する「仏法的アプローチ」だの安定剤処方の量がほとんどホラーだなという気に。キリスト教だっていろんな問題があるだろうがリベラル(キリスト教のリベラル以上の意味はない)だけでも解釈出来る現象の幅が違い過ぎるし論旨のぼやっとしたオカルトとも関係ない。付け焼き刃は仕方ないにしてもそういう信仰が世界規模だとそんなにマイナーなものに思えないのだが。
マイナーじゃないだけにこじんまり簡潔に考えるのがよく、仏法的アプローチも心身をわざと害した後の安定剤処方とかもろくでもなさすぎる。