かさのある

とても美しい時間を過ごす。正味の時間としては短いが心が洗われる(何によって?そういう事は凄く沢山はないけどトータルで思い返すと、色々あるようにも)

10月の30日の日記に書いたような事で、差異と反復はシンプルに同一性とキリスト教的な外在性(神の問題)が在るのが西欧的だと感じさせるという意味では、前提となってるものだけで読みごたえあるのだが、そういうものと本質的に無縁な現代思想的というか日本の80年代特有のマインドセットがあんまりにも他害的だという点をもう少し考える必要がある気がする。被害被ってる側の分裂病の問題などでは全くなく、加害する側のas-if personalityみたいな極度に空虚で難癖の付け通しくさい在り方の事(他人は他人なんだからいいじゃんみたいな割り切り方が全く出来ない)。
例えば科学的に内実のある研究をしてれば、自己イメージの揺らぎとか崩壊に伴って他人を害するというモチーフが頻繁に現れないで済むだろうが、煽られてるだけだと多分それだけなのだ。